ブラジルと聞くと、日系人が多い国というイメージを持つ人も多いでしょう。実際、ブラジル移民やその子供たちである日系人は非常に多く、2008年にはブラジル移民100年がニュースになりました。
しかし、ブラジルに初めて日本からの移民が到着してから長い年月が経ち、その背景を知る人も少なくなっています。こちらの記事では、ブラジル移民の歴史触れながら、苦難の道のりや現在の状況をご紹介しましょう。
ブラジルへの日本人移民とは
ブラジル移民とはどのような人たちのことを言うのでしょうか。
数奇な運命を辿りながら、日本を旅立ちブラジルに永住することになった彼らはどのような生活をしていたのかを知ることは、ブラジルと日本の間に築かれた深い関係性を知ることにも繋がります。
続いては、移民に至るまでの歴史や移民における苦労を紐解いていきましょう。
ブラジル移民の始まり
ブラジルへ向けて移民が日本から旅立ったのは1908年のことです。当時、ブラジルでは黒人奴隷制度が廃止となり、コーヒー農園で働く労働者が不足していました。
この出来事に対応するために、ヨーロッパ系移民を雇い補っていましたが、最も多かったイタリア系移民が少なくなったことから、日本人の移民を受け入れることになります。
そして、1890年代後半には、サンパウロ州政府と移民斡旋会社との間え日本人導入の契約が結ばれました。
1907年に皇国植民会社がサンパウロ州政府との間で結んだ「日本人移民3千人ヲサンパウロ州ニ輸入スル契約」が引き金となり、日本からブラジルへの移民が本格稼働。
この時の募集は、期間が短かったにも関わらず、多くの希望者が日本各地から集まったと言います。
そして、第一回移民船「笠戸丸」に乗って、移民たちはブラジルサンパウロの地へと向かったのです。
ブラジル移民の苦労
「コーヒーの木には、金がなる」と言うキャッチコピーに希望を乗せて、日本を旅立った移民たちですが、いきなり苦労をすることになります。
日本人の移民が初めてブラジルに降り立った当初、コーヒーは酷く不作だったためです。そして、予想していた売り上げの半分にも満たないどころか、生活費は思ったよりもかかったと言います。
過酷な待遇も相まって、移民の多くは、耕地を離れサンパウロやサントスといった都市部で働くようになりました。
しかし、移民事業が軌道に乗ったと思われた1913年。サンパウロ州政府は、移民契約解除の通告を言い渡します。そのため、1914年にブラジルへと到着した3500名ほどの移民が最後となりました。
移民のチャンス再来
移民の契約が解除された翌年、第一次世界大戦をきっかけに、再びヨーロッパからの移民が激減したブラジルでは、日本移民の受け入れを検討し始めます。
結果的に、1917年以降多くの補助や日本政府により援助により、1934年までに10万人を超える日本人移民がブラジルの地を踏むことになりました。
それから、日本でも戦後の貧窮した時代が落ち着いたことも要因となり、ブラジルへの移民は減少します。
ブラジル移民が成し遂げたこと
過酷な待遇を受けたコーヒー農園から逃亡した日本人移民の中には、自分たちで農園を運営する人も多く見られました。
彼らは、日本人移民同士で資金を出し、共同で農地を取得したと言います。中でも有名なのが、日系農業組合の「日伯産業組合」です。
その後も、ブラジルの農業に貢献する移民たちが続々と増えていきます。彼らの軌跡を辿っていきましょう。
ブラジルの農業にも貢献
ブラジルに移民し、自分たちで自作農を始めた人たちは、コーヒーだけではなくジャガイモや紅茶などの生産を始めます。
こういった、新たに導入した作物は、現在のブラジルの基幹産業に関わるものも含まれており、移民がブラジルの農業に貢献してきたといっても過言ではありません。
また、そもそもブラジルの農業は大規模な土地を所有するか零細土地を所有するかの2パターンに分かれており、中間層がないのが特徴でした。
しかし、日本人の移住者が中間層となる家族経営の農場を創設したことにより、農業はますます盛んになります。加えて、農業開発への取り組みでも移民が第一線に立ち活動している点もポイントです。
新しい文明の礎
日本からブラジルに移民した人たちは、原始林を開拓することから始まり、農業を振興させました。
さらには、町も興したことから、ブラジルでは移民を単なる出稼ぎという位置付けて捉えてはいません。
むしろ、ブラジルにおける新たな文明の礎を共に築いた参加者であると言われています。
ブラジル移民の今
日本からブラジルへの移民として渡り、定住した人たちの子孫は日系人として今もブラジルで暮らしています。
当時のことを知る人は少なくなりましたが、今でも日本語の挨拶ができる人たちがいることからも、その面影は伝わるでしょう。ブラジル移民の今について触れていきます。
世界最大の日系人居住地ブラジル
現在のブラジルは、世界最大の日系人居住地です。実に200万人を超える日系人が暮らしていると言われ、移民としてブラジルを訪れた日本人のDNAが受け継がれています。
中でも、サンパウロには多くの日系人が暮らしており、顔だけ見ると日本人に見えることから、親しみやすさも感じるでしょう。
移民の歴史を残す資料館
サンパウロには、ブラジル日本移民資料館が設置されています。いきた資料館として、日本人が初めて移民としてブラジルに訪れた頃の暮らしや、戦後に至るまでの日系人が築いた社会を紹介する施設です。
また、サンパウロだけではなく、ブラジル国内に同じような資料館が点在しており、100年以上も前にブラジルに訪れた移民たちが国際協力のパイオニアとして活動したことを知ることができます。
日本人は、ブラジルにおいて「ジャポネス・ガランチード(日本人は信頼できる)」と言われていますが、これは、移民として真面目に働き続けた日本人の証といえるでしょう。
まとめ
ブラジル移民についてご紹介しました。移民当時の生活を実際に体験した世代は、どんどんと少なくなっています。
しかし、日本人がブラジルで築いた産業や仕事ぶりは、いまだにブラジルで賞賛を得ているといっても過言ではありません。
国際協力が叫ばれる昨今において、100年前にブラジルに降り立った日本人の精神は非常に役立つものではないでしょうか。
その地に馴染み、発展を思いながら真面目に働く姿は、当時のブラジル人にとっても励みになったことでしょう。地球はますますボーダレスになり、これからは更にブラジル移民の心意気が必要とされる時代といえます。