パレスチナ難民という言葉を聞いたことがありますか?
パレスチナという単語は世界史の授業で聞いたことがあるような…程度で、日本人にとってはあまり身近ではないかもしれません。
しかし、中東の一角には70年以上に渡って難民生活を余儀なくされている人たちがいるのです。
この記事では、パレスチナ難民とはどのような方々なのか、なぜ70年以上も何世代に渡って難民暮らしをしているのかご説明していきます。
遠い中東地域の話と感じるかもしれませんが、現時点もこのような苦しい生活をするしか術のない方々がいるという現状を目の当たりにすることで、自分には何ができるのかと考えるきっかけが提供できればと思います。
「パレスチナ難民」が生まれた背景とは?
1948年のイスラエル建国に伴い、第一次中東戦争が勃発しました。
宗教的背景もあり、繰り返し紛争が勃発していた地域ですが、この戦争を受けて約70万人以上の人がパレスチナから周辺諸国に逃れたといわれています。
パレスチナとは、主にアラブ人系の民族の住んでいた地域のことを指します。
アラビア語が話され、多くの人がイスラム教を信じている地域ですが、現時点で独立国家として認められていません。
戦争が勃発したことで、200以上の農村が破壊されたといわれています。
命からがら、自分の家を出て、故郷を捨てて他の国へ逃げ出すしかなかった方々は、たどり着いた先で難民となりました。
翌年1949年に国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が設立され、「パレスチナ難民」の救済措置が取られるようになりました。
現時点では世界に58のパレスチナ難民キャンプが設けられています。
戦争から70年以上経つ今も、パレスチナ問題の終焉目途が立たず、難民の方々は「いつか故郷に帰る」ことを夢見ながらの難民生活が続いています。
パレスチナ難民は今もなお増え続けている
パレスチナ難民の大きな特徴は、今もなおどんどんと増え続けていることです。
事の発端は70年前の第一次中東戦争の最中に、パレスチナを逃げ出さざるを得なかったという事態です。
戦争を受けてパレスチナを離れた人は70万人以上に上ると報告されています。
時は流れ、この70万人の方々がたどり着いた先で家族となり、子孫が増え…今ではパレスチナ難民3世代目、4世代目まで誕生し、UNHCRの報告によると560万人以上へと増え続けています。
難民として生まれて難民として暮らし続けている人たちがいるという現状は、日本に暮らす私たちからすると信じられないのではないでしょうか。
参照元:What We Do(What We Do | UNRWA)|UNRWA公式ホームページ
パレスチナ難民はどこで難民生活をしているのか
故郷を追われたパレスチナの方々は、隣国へと流れついていきました。
UNRWAを軸として、隣国での難民キャンプ運営が行われています。
同団体は、中東のヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸、ガザ地区の5地区において、60年以上に渡ってパレスチナ難民のサポートをしています。
パレスチナ難民の強いられている苦しい環境
UNRWAを始め、世界中からの支援を得ながら運営されている難民キャンプですが、パレスチナ難民の方々が暮らしている環境は決して良いものとは言えません。
命からがら逃げてきた方々に対して救いの場である難民キャンプですが、人手不足や資金不足などのハードルが立ちはだかり、満足のいく生活とは程遠いというのが正直なところです。
劣悪なキャンプ事情
世界には多くの難民キャンプがありますが、パレスチナ難民は歴史が長いということもあり、設備面での老朽化が進んでいるキャンプが多いです。
70年以上前に立てられた住宅や衛生設備などは古くなってきていて、修復しようにも予算が足りず、廃墟に近いような環境で暮らし続けている人たちがたくさんいます。
UNRWAの働きもあり「テント暮らし」を強いられていたキャンプは、少しずつ「住居型」に切り替えが始まっています。
仮暮らしであったはずのテントでの生活が、何年にも渡って暮らす家となってしまっていたパレスチナ難民は少なくありませんでした。
言わずもがなですが、難民であろうと安心できる衛生的な住居で暮らすという最低限の保証は、国際法でも定められています。
老朽化した不衛生な住宅環境のメンテナンスや建て替えは、各地区ごとに少しずつ取り組みが進められています。
ただし、資金調達によってプロジェクトに遅れがでたり、政情不安などで延期となっているキャンプもあり、道のりは長そうです。
圧倒的な失業率の高さ
難民キャンプに暮らす人たちは、自分たちのできる行動にも制限が課されています。
キャンプのある地区によっては、就業していけない分野が設けられていたりと、手に職を持っていても仕事をしてはいけないというケースも多いです。
レバノンは、12個の難民キャンプがあり45万人のパレスチナ難民が暮らしています。
ここでの規制は特に厳しく、25種類の職種において、難民の方の就労が禁止されています。
受入国側の仕事を取られたくないという背景も分かりますが、これでは生計を立てていくことが難しく、生活が成り立たないという事態を引き起こしています。
レバノンに暮らすパレスチナ難民のうち、半数は失業中といわれています。
就ける仕事が制限されていることもありますし、レバノン生まれであっても「難民」ということで外国人扱いとなり、就労ビザの取得に苦戦するなど、仕事にありつくまでのハードルが複数あります。
さらに、個人レベルで見ても就労経験が乏しく、そもそも十分教育を受けていないこともあり、仕事に就くために必要なスキルをほとんど持ち合わせていないという点も課題です。
教育を受けられない難民たち
難民の子供は、基本的に難民キャンプ内で教育を受けるしかないという悲しい現状があります。
例えば、特に規制の厳しいレバノンにおいては、パレスチナ難民の二世、三世、生まれはレバノンという子供であっても、現地の学校へ通うことは許されていません。
難民キャンプでは、最低限の教育を受けられるようにと試行錯誤しながらプログラムを組んでいます。
UNRWAを始めとする国際機関が資金面・教育面でのサポートを続けていますが、できることに限界があります。
文化的に家族の人数が多い地域ということもり、常に学校は子供であふれかえっている一方で、教師の数が圧倒的に足りていません。
基本的にボランティアのような形で難民キャンプで暮らす人の中から先生を見つけますが、適切な人を探すのは簡単ではありませんし、必要な教科書やノートなどの備品も限りがあります。
幼いころにしっかりと教育を受けずに育ってしまうと、その先仕事を見つけることも難しくなってしまいます。
現在の就業世代の半数が失業中という数字は、見て見ぬふりができるものではありません。
何世代にもわたって貧困生活を強いられる負のサイクルを断ち切るためにも、学ぶ機会の提供はとても重要と言えるでしょう。
まとめ:世界の難民の5人に1人はパレスチナ難民という現状
「生まれた時から難民で、難民キャンプという囲われた空間でしか暮らしたことのない人がいる」というのは、多くの日本人にとっては驚きではないでしょうか。
災害時の一時避難先のようなイメージが強い難民キャンプですが、パレスチナ難民の歴史は長く、すでに70年以上難民生活を強いられている人たちがいます。
「難民キャンプ」といっても、手厚いケアがあるワケではありません。
どんどん増えていく難民人口に対して、資金面や物理的な支援を追いつかせるのは決して簡単なことではありません。
UNRWAを始め国際機関を始めとする、住居・医療・教育などの分野でのサポートは進められていますが、現地の方々が満足のいく暮らしができているワケではありません。
また、2011年に発生したシリア危機の余波を受けて、ますます難民の数は増えています。
シリアなどの難民キャンプでは、治安が不安定な状況が続き、それに伴い老朽化した建物の改修プログラムも一時停止となっています。
歴史的な背景や、多くの利権が絡み合って複雑化しているパレスチナ問題。
歴史の教科書で学んだことと考えてしまいがちですが、それを受けて今もなお自宅に帰ることを夢見ながらキャンプ生活を余儀なくされている人たちがいます。
遠い世界の話に聞こえてしまいますが、まずは学ぶところから始めてみませんか。