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ロヒンギャはなぜ迫害され難民となったのか?その理由と背景、今後の課題について【2026年最新】

ロヒンギャは、ミャンマー西部ラカイン州北部を中心に暮らしてきたイスラム教徒の少数民族です。ロヒンギャがなぜ迫害され難民となったのかを一言でいえば、「宗教や外見の違い」よりも、国籍法という制度によって「国民」から外されたことが根にあります。国籍を持たない人びとが、軍の弾圧や社会の差別を受けて何度も国外へ逃れてきました。2017年の大規模な流出から9年がたった今も、帰還のめどは立っていません。さらにミャンマー国内の戦闘の激化や、国際的な支援資金の縮小が、状況を重くしています。この記事では理由と背景を歴史から確認したうえで、2024年以降の現在地と、日本に暮らす私たちにつながる論点を整理します。

この記事で学べること

  • ロヒンギャが迫害されてきた理由を、「見た目」「宗教」「不法移民」という3つの言説と制度の面から区別して理解できる
  • 1978年から2017年まで、流出が何度も繰り返されてきた経緯と、帰還が進まない理由がわかる
  • 2024年以降の難民キャンプの人数、新たな流入、海上ルートの危険など最新の状況がつかめる
  • 日本とのつながりと、読者が今日からとれる行動の選択肢がわかる
目次

ロヒンギャが迫害される理由と背景|「見た目」「宗教」だけでは説明できない

ロヒンギャへの差別は、「肌の色が違う」「イスラム教徒だから」といった理由で語られがちです。しかし、これらは差別が正当化されるときに持ち出される理由です。迫害を可能にした仕組みは別のところにあります。ここでは、歴史的な経緯と制度の面から整理します。

「不法移民」という主張と、起源をめぐる論争

ミャンマーの政府や多数派社会は、ロヒンギャを「イギリス統治期に流入したバングラデシュ(ベンガル)系の不法移民」と位置づけてきました。そのため政府は「ロヒンギャ」という呼称を認めず、「ベンガリ」と呼ぶことがあります。

一方でロヒンギャ側や多くの研究者は、ラカイン地方には古くからイスラム教徒が暮らしていたと指摘しています。起源は15世紀ごろの王国時代にまでさかのぼるとされます。植民地期の労働移動でベンガル地方から移り住んだ人びとも含め、さまざまな時期に重なって形成された集団だという見方が一般的です。

どちらの主張が歴史として正しいのかという議論は、いまも政治的に利用されています。ただ、人権の観点では別の問いが重要です。仮に移住の時期が新しくても、何世代も暮らしてきた人から国籍を奪い、無国籍にしてよいのでしょうか。

1962年のクーデターと1982年国籍法が決定打になった

転機は、1962年の軍事クーデターです。国軍が主導するビルマ民族主義と中央集権的な体制のもとで、「土着民族こそ国民の中核」という考え方が強まりました。独立直後のミャンマーでは、ロヒンギャは一定の政治参加や身分証を持つ時期もありました。その状況が、このころから急速に悪化したのです。

決定的だったのが、1982年に施行された国籍法です。この法律は、政府が認定する135の「土着民族」に属する人を国民の中核としました。ロヒンギャはこのリストに含まれず、国籍を取得する道がほぼ閉ざされました。いわば「差別が法律の形になった」瞬間です。

その結果、ロヒンギャは移動の自由、教育、就業、結婚や出産などの面で制限を受けるようになりました。国民として登録されないため、保護を求める先もありません。

「見た目」と「宗教」は、差別を支える後づけの理由

ミャンマーの人口の大多数は上座部仏教徒です。ロヒンギャの肌の色や顔立ち、ビルマ語の習熟度の違いが、「私たちとは違う存在」という意識を強めてきたとされます。「イスラム教徒は人口を増やし、国を乗っ取る」という根拠のない不安も、社会に広まってきました。

ただ、こうした見方は、国籍法で作られた「外の人」という扱いを社会が追認する形で定着した面が大きいと考えられます。外見や宗教の違いは、どの国にもある多様性のひとつです。それ自体が迫害を生むわけではありません。制度が人びとを分け、その線引きに偏見が上塗りされたことが、問題の核心です。

何度も繰り返された難民化の歴史|1978年から2017年まで

ロヒンギャの難民化は、2017年に突然始まったわけではありません。複数回の大きな流出が積み重なり、その上に2017年の危機がありました。「いつ・どのように難民になったのか」を時系列で押さえると、今のキャンプの人口構成が理解しやすくなります。

1978年と1991〜92年の流出

1978年には、国籍確認を名目とした軍の作戦のなかでロヒンギャへの圧力が高まり、多くの人がバングラデシュへ逃れたとされます。その後ほとんどが帰還しましたが、1991〜92年にも再び大規模な流出が起きました。

こうした流れのなかで、2017年より前からバングラデシュに避難していた人は、20万〜30万人にのぼると日本の国際NGOは伝えています。つまり、いま「ロヒンギャ難民」と呼ばれる人のなかには、親の世代から難民として生まれ育った人びとが含まれています。

2012年以降の緊張と、2017年8月の大量流入

2012年にラカイン州で仏教徒とイスラム教徒の暴力的な衝突が起き、多くのロヒンギャが国内の避難キャンプに閉じ込められました。2015年には、タイ沖やアンダマン海で多数の人が船で漂流する「ボート・ピープル」の危機が起きています。

そして2017年8月、武装組織によるとされる襲撃をきっかけに、国軍による大規模な掃討作戦が始まりました。この作戦で約74万人がバングラデシュ南東部のコックスバザールへ逃れたと、国際NGOのAAR Japanは報告しています。国連は当時から、この弾圧を「民族浄化の典型例」と表現してきました。2019年には、アフリカのガンビアが国際司法裁判所(ICJ)にジェノサイド条約違反を訴え、審理が続いています。

「帰還合意」があっても戻れない理由

2017年11月にはミャンマーとバングラデシュの間で帰還の取り決めが結ばれましたが、実際にはほとんど進んでいません。理由は単純です。戻った先で国籍や安全が保障されなければ、帰る意味がないからです。

難民の側も、元の村が焼かれて土地を失っている場合が多く、移動の自由や身分証の保証がないまま戻ることには強い不安を抱えています。「自発的で、安全で、尊厳のある帰還」という国際的な原則を満たす条件が、ミャンマー側で整っていないのが現状です。

2024年以降の現在地|数字で見るロヒンギャ難民

ここからは、ロヒンギャの現状を数字で見ていきます。2024年以降は、キャンプの人口が再び増え、ミャンマー国内の戦闘が新たな流出を生み、海へ逃れる人が危険にさらされています。さらに、支援する側の資金も細っています。

コックスバザールのキャンプには約115万人が暮らす

バングラデシュ・コックスバザールと沖合の島には33か所の難民キャンプがあり、あわせて約115万人が暮らしていると、共同通信は2025年に報じました。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の日本の窓口である国連UNHCR協会は、バングラデシュにいるミャンマー出身の避難者を約118万人と示しています。

国際NGOのAAR Japanによると、そのうちクトゥパロン難民キャンプだけで約60万人が密集して暮らしています。同団体が取材した58歳の男性は、8年間暮らしても子どもたちは正規の教育を受けられず、働くこともできないと話しています。

内戦の長期化で新たな流入も起きている

状況は、「過去の問題」では終わっていません。UNHCRは2025年7月、直近1年半でロヒンギャ難民が約15万人新たに流入したと発表しました。ミャンマーでは国軍と少数民族の武装勢力との戦闘が収束せず、ラカイン州でも多くの人が行き場を失っています。

国連UNHCR協会は、ミャンマー全体で2026年には国内避難民が約510万人、難民と庇護希望者が約150万人に達する見通しだと説明しています。そのなかで、特に深刻な状況にあるのが無国籍のロヒンギャだとしています。

海上ルートで900人近くが死亡・行方不明に

陸路が閉ざされると、人びとは海に向かいます。国連UNHCR協会によれば、2025年の1年間に6100人以上のロヒンギャが、ミャンマーやバングラデシュなどから海上ルートでの避難を試みました。そのうち900人近くが死亡または行方不明になったと報告されています。

乗船者のなかでは、女性と子どもが半数以上を占めると説明されています。目的地として知られるマレーシアなどでも、国連難民高等弁務官事務所の現地事務所の予算と人員が縮小しており、難民としての登録や証明の発行がさらに遅れる懸念が指摘されています。

難民キャンプで起きている問題|地元との摩擦、災害、教育、そして資金不足

キャンプでの生活は、「安全な場所に着いた」だけでは終わりません。ここでは、キャンプが長期化するなかで目立つようになった問題を、4つに分けて見ていきます。

地元コミュニティとの摩擦

当初、地元の人びとは避難してきたロヒンギャを歓迎しました。しかし避難者の数が増えるにつれ、生活必需品の値上がり、支援車両による渋滞、キャンプの拡大による森林の減少などが起こりました。もともと貧困率の高い地域だったため、地元住民の負担感が強まり、関係が悪化した地域もあります。

こうした摩擦を和らげるため、国際機関や日本の支援は、難民だけでなく周辺地域の住民も対象にする方向が広がっています。

モンスーン・サイクロン・火災への弱さ

コックスバザールは、6月から9月のモンスーン期に年間雨量の大半が集中し、洪水や地すべりが起きやすい地域です。サイクロンの通り道にもあたります。キャンプの住居は竹やビニールシートで作られていることが多く、強風や豪雨に弱い構造です。過密な環境では火災も起きやすく、2021年3月には大規模な火災で多くの人が住まいを失いました。

教育と就労の制限

AAR Japanが伝えるとおり、難民として暮らす子どもたちは、正規の教育を受けにくい状況に置かれています。キャンプ内では、国際機関やNGOが非公式の学習の場を運営していますが、中等教育以降の機会は限られます。

大人にとっても、キャンプ周辺での就労は原則として認められていません。そのため支援物資や現金給付に頼る生活が長引いています。この状態が続くと、教育を受けないまま成長した世代が、将来も国籍や仕事を持てない構造が固定されてしまいます。

支援資金の縮小という新しい壁

最近は、国際的な人道支援の資金が全体として厳しくなっています。マレーシアでの状況を取材した研究報告では、UNHCRの現地事務所の予算削減に伴い、人員が大幅に減ったことで、登録や証明発行の遅れが懸念されると伝えられています。食料や医療などの支援は、少しの削減でも生活に直結します。

よくある誤解と当事者の視点|「簡単に解決できる」わけではない

ロヒンギャ問題をめぐっては、ニュースや過去の記事の影響で、更新されないまま残っている理解もあります。ここでは、読者が誤解しやすい点を3つ取り上げます。

「スー・チー氏が解決できる」という見方は、今は当てはまらない

以前は、民主化の象徴であるアウンサンスーチー氏だけが、国軍や世論の暴発を抑える「重し」になれるとの見方がありました。しかし、2017年の弾圧時に国際社会から強い批判を受けたほか、2021年2月のクーデター後は国軍が政権を握っています。スーチー氏自身も拘束されたとされ、国内の政治状況は大きく変わりました。

今は特定の指導者の判断に期待するだけでは、問題は動きません。制度(国籍法)と、軍・政治勢力・武装組織が複雑に絡み合う構図を見る必要があります。

「難民キャンプに行けば安全」ではない

バングラデシュのキャンプは命を守る場所ですが、「安全で安定した暮らし」とは言い切れません。就労や教育の制限、災害、治安の不安、女性や子どもへの暴力のリスクなどが、長い滞在のなかで積み重なっています。将来の見通しが立たないこと自体が、人びとの心身の負担になっていると指摘されています。

「ロヒンギャ問題は過去の出来事」ではない

2017年の事件だけが注目されがちですが、前述のとおり、流入は2024〜2025年にも続いています。生まれたときから難民キャンプで育つ子どもも増えており、「いつか帰る」だけでなく「どう暮らしを築くか」という長期の視点が必要です。この点を知っておくだけでも、ニュースの読み方が変わります。

今後の課題|国籍・帰還・責任追及・支援の持続

では、何が変われば状況は動くのでしょうか。課題は多岐にわたりますが、大きくは4つに整理できます。

国籍と市民権の回復

根本にあるのは、1982年国籍法に基づく無国籍状態です。国籍や身分証が保障されなければ、帰還しても同じ迫害が繰り返されるおそれがあります。過去の諮問委員会(アナン委員会)の勧告でも、移動の自由の保障や国籍法の見直しなどが示されてきました。ただ、現在の政治状況では実現の見通しは立っていません。

責任追及と国際司法の動き

責任を問う動きは続いています。ガンビアによる国際司法裁判所への提訴に加え、国際刑事裁判所(ICC)の主任検察官は2024年11月、国軍トップに対する逮捕状を請求しました。実際に裁かれるかどうかは別として、「迫害を放置しない」という国際社会の姿勢を示す動きです。

帰還を待つ間の暮らしの質

帰還のめどが立たないなかで、キャンプで暮らす人びとの教育、技能訓練、生計手段を増やすことは急務です。国連機関は心理社会的支援や暴力の防止、予防接種、栄養ケア、職業訓練などを実施してきました。こうした支援が資金不足で細らないよう、継続的な財源が求められています。

周辺国での受け入れと海上の安全

タイ、マレーシア、インドネシアなどでは、ロヒンギャは難民としてではなく不法入国者や経済移民として扱われやすい現状があります。海上で救助された人を迅速に受け入れる仕組みがなければ、命が失われる状況は変わりません。地域全体で責任を分担する枠組みも課題です。

日本とのつながりと、私たちにできること

遠い国の問題に見えるロヒンギャ難民ですが、日本とも実はつながりがあります。ここでは、日本の関わりと、読者が選べる行動の幅を整理します。

日本政府・日本人職員の関わり

日本政府は、国際協力機構(JICA)などを通じて、キャンプ周辺での給水支援や保健医療の分野の協力を行ってきました。難民だけでなく、受け入れ地域の住民にも支援を届けることで、前述の地元との摩擦を和らげる狙いがあります。

また、現地のUNHCR事務所などでは、日本人の職員も活動しています。共同通信の取材によれば、コックスバザールで国連機関に所属する日本人は総勢7人でした。

日本国内で暮らすロヒンギャの人びと

日本にも、群馬県館林市周辺を中心に、ロヒンギャの人びとのコミュニティがあることが知られています。数百人規模とされており、難民申請や在留資格、生活支援をめぐって、地域のNGOや支援者が関わっています。日本で暮らす難民の受け入れ状況は、「遠い国の問題」ではなく、私たち自身の社会の課題でもあります。

今日からとれる行動の選択肢

行動には、負担の大きさに応じていくつかの選択肢があります。

  1. 国連UNHCR協会やAAR Japanなどの公式サイトで、最新の現地報告を読む
  2. ロヒンギャや難民に関するニュースを、家族や友人に1つ共有する
  3. 月々数百円からの継続寄付や、物資・募金の支援に参加する
  4. 地域の難民支援団体のイベントや学習会に参加する

寄付先を選ぶときは、使い道や活動報告が公開されているかを確認してみてください。1回の大きな寄付より、無理のない金額を継続するほうが、現場の計画を支えやすいといわれています。

まとめ

ロヒンギャが迫害され難民となった理由は、見た目や宗教の違いだけでは説明できません。1962年のクーデター以降の民族主義と、1982年の国籍法によって「国民」から外されたことが根にあり、その上に社会の偏見と軍の暴力が重なりました。流出は1978年、1991〜92年、2017年と繰り返され、キャンプには約115万人が暮らしています。

2024年以降は、ミャンマー国内の戦闘で新たな流入が起き、海上ルートでの死亡・行方不明も報告されています。一方で支援資金は縮小傾向にあります。解決には、国籍の回復、責任追及、帰還を待つ間の教育と生計支援、周辺国の協力が欠かせません。

国際政治の話は大きく感じられますが、現状を知り、誰かに伝え、無理のない形で支援を続けることは、個人にもできます。まず1つだけ、国連UNHCR協会かAAR Japanの現地報告を開いて、最新の状況を読んでみてください。

  • ロヒンギャの迫害の根には、1982年国籍法による無国籍化という制度の問題がある
  • 難民化は1978年から繰り返され、2017年に約74万人が流入した後も、2024〜2025年に新たな流入が続いている
  • キャンプ人口は約115万人で、教育・就労の制限、災害、支援資金の縮小が課題になっている
  • 国籍の回復、責任追及、帰還前の生活支援、周辺国の協力が今後の鍵になる
  • 日本からも、現状を知る、伝える、継続寄付する、といった行動を選べる

参考文献

  • 記事を書いたライター
  • ライターの新着記事

大手カフェチェーンで人材育成に携わり、青年海外協力隊としてアフリカのルワンダにて2年間活動、その後は国際協力機関での勤務経験あり。過去の経験をもとに現在はフリーランスとして途上国支援やキャリア教育の講師・メンター業をメインとして活動しながら執筆活動も行う。趣味は旅とコーヒーと料理。海の街に暮らし始めたことで日々大量の魚をさばく生活を楽しんでいる。

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