2013年4月24日、バングラデシュの首都ダッカ近郊で、縫製工場が入る商業ビル「ラナプラザ」が崩壊しました。1,100人以上が亡くなり、負傷者は2,500人以上にのぼりました。世界各国のブランドの服を作っていた工場で起きたこの事故は、安さの裏側でどんな働き方が支えられているのかを、バングラデシュで起きた事故からファストファッションの陰として、世界に突きつけました。
あれから10年以上がたち、工場の安全対策は大きく進んだとされています。一方で、賃金や労働組合の権利、日本の消費者や企業の責任といった論点は、まだ現在進行形です。この記事では、事故の経緯を押さえたうえで、事故後に何が変わり何が残ったのか、日本の企業や制度はどう動いているのか、そして買い物のときに何を見ればよいのかを整理します。
2013年4月24日に何が起きたのかをたどる
ラナプラザの事故は、突発的な災害ではありません。前日までに危険のサインが出ていたにもかかわらず、働く人たちが建物に戻らざるを得なかったことで起きた人災でした。まずは事実関係を確認します。
前日に見つかっていた亀裂と、無視された警告
ラナプラザは、複数の縫製工場と店舗、銀行などが入る8階建ての商業ビルでした。事故の前日、建物に大きな亀裂が見つかり、地元の警察から使用を控えるよう警告が出されたと報じられています。入居していた銀行や店舗は営業を止めました。
ところが縫製工場だけは、翌日の稼働が続けられました。出勤しなければ解雇や賃金の不払いがあると伝えられた、という証言が多数残っています。こうした経緯から、問題は建物の欠陥だけではなく、働く人が「危ないから行かない」と言えない立場に置かれていたことにもありました。
停電、発電機、ミシンの振動
事故当日は停電が起き、上層階の発電機が動き出しました。数千台とされるミシンの稼働による振動も加わり、ビルは崩れ落ちました。建物は、もともと許可された規模を超えて上層階が増築されていたと指摘されています。
被害の規模は、死者が1,100人以上、負傷者が2,500人以上でした。縫製業の事故としては世界最悪級とされ、国際労働機関(ILO)などが事後対応の調整に乗り出しました。
責任の追及と、長く続いた裁判
ビルの所有者らは事故後に拘束され、その後、建築法違反や汚職などで起訴されました。ただし、刑事裁判は長期化したと報じられています。遺族や被害者への補償についても、ILOが調整する枠組み(ラナプラザ・アレンジメント)が作られ、取引のあった企業や団体の拠出で補償が行われました。拠出が集まるまでには時間がかかり、「ブランド側の責任の取り方」が問われ続けました。
事故は2015年公開のドキュメンタリー映画『ザ・トゥルー・コスト~真の代償~』でも取り上げられ、日本でも「服の値段の裏側」を考えるきっかけになりました。
事故の背景にあったファストファッションの構造
ラナプラザの事故をオーナー個人の悪事だけに帰すと、本質を見誤ります。背景には、価格・納期・取引構造という、産業全体の仕組みがありました。
低価格と短納期の圧力
ファストファッションは、流行を素早く取り入れ、低価格で大量に販売するビジネスモデルです。ブランドは「この価格で、この納期で」という条件を工場に示し、より安く、より早く作れる工場に発注を回します。工場側は受注を失わないために、値下げや短納期に応じざるを得ません。
そのしわ寄せが向かう先は、建物の補修費、安全設備、人件費など、見えにくい部分です。ラナプラザでも、複数のブランドの服が作られていました。ただし、事故当時に発注先として把握されていなかったブランドも多く、サプライチェーンの透明性の低さが浮き彫りになりました。
多重下請けと「見えない工場」
アパレルの生産は、元請け工場がさらに別の工場へ仕事を回す多重下請けになりがちです。ブランドが直接取引する工場は監査を受けていても、その先の下請け工場は把握されていない、ということが起こります。
事故の前年の2012年11月には、ダッカ近郊のタズリーン・ファッションズの工場で火災が起き、100人を超える死者が出ていました。この時点で安全対策の必要性は指摘されていたのに、仕組みとして定着しなかったことが、翌年の惨事につながったと言われています。
輸出産業としての縫製業という事情
バングラデシュにとって、縫製業は輸出の大半を占める基幹産業です。世界有数の衣料品輸出国であり、とくに女性に多くの雇用を生み出してきました。工場で働くことで収入を得て、家族を支え、生活を変えてきた人が大勢いるのも事実です。
だからこそ、この問題は「工場をなくす」ことではなく、「安全に、適正な賃金で働ける産業にする」ことが目標になります。この点は、後ほど誤解の整理でも触れます。
縫製工場で働く人たちの現実|賃金・労働時間・ハラスメント
事故は氷山の一角でした。日々の労働環境にも、構造的な課題があります。
賃金は上がったが、生活を支えられる水準か
2013年当時、バングラデシュの縫製労働者の最低賃金は月3,000タカ前後(日本円で4,000円に届かない程度)でした。事故後の抗議の高まりもあり、同年末に約5,300タカへ引き上げられ、その後2018年に8,000タカ、2023年末には12,500タカへと段階的に上がっています。
数字だけ見れば大幅な上昇です。しかし2023年の改定をめぐっては、労働組合側が要求した額を大きく下回ったことなどから、抗議デモが続き、死傷者が出たと報じられました。物価の上昇もあり、最低賃金で家族を養える水準なのか、という議論は続いています。
長時間労働と、断りにくい残業
納期に追われる工場では、長時間労働や残業が常態化しやすいと指摘されています。ノルマが終わるまで帰れない、休憩が十分に取れないといった声は、NGOや労働組合の調査でもたびたび報告されてきました。
ここで大切なのは、残業を断れば解雇される恐れがあると、働く人が感じてしまう関係性です。ラナプラザで「危険でも出勤するしかなかった」ことと、根は同じ問題です。
女性が多い職場で起きるハラスメント
縫製工場の労働者は女性が多数を占める一方、管理職は男性が中心という職場が多いとされます。そのため、セクシュアルハラスメントや暴言、暴力の被害が報告されてきました。被害を訴えれば職を失いかねないという立場の弱さが、問題を表に出にくくしています。
労働組合を作る権利や、苦情を安全に伝えられる窓口の整備は、安全対策と並ぶ重要な論点です。
事故のあと何が変わったのか|アコードから国際アコードへ
ラナプラザの事故は、ブランドや国際社会の動きを大きく変えました。その中心にあるのが、工場の安全を第三者が点検する仕組みです。
法的拘束力を持つ「アコード」の誕生
事故から約1か月後の2013年5月、「バングラデシュにおける火災予防および建物の安全に関する協定(アコード)」が結ばれました。ブランドと国際労働組合などが署名した、法的拘束力のある協定です。ユニクロを含む世界の200社以上のブランドが署名しました。
仕組みの特徴は大きく3つあります。
- 独立した検査員が工場の建物・電気・防火設備を点検し、結果を公開する
- 問題が見つかれば、ブランドは是正を求め、必要に応じて改修を支える
- 改善が進まない工場とは取引を停止できる
それまでの「ブランドの自主的な監査」とは違い、結果が公表され、労働者の代表が関与し、拘束力がある点が画期的とされました。
現地組織への引き継ぎと、新たな国際アコード
アコードは当初5年間の協定で、期限後は現地の組織であるRMGサステナビリティ・カウンシル(RSC)に監視業務が引き継がれました。その後、アコードの枠組みを他の国にも広げる「国際アコード」が発足し、バングラデシュに加えてパキスタンでも対象が広がる動きがあります。最新の署名ブランドや対象国は、国際アコードの公式サイトで公表されています。
火災や建物の安全面では、多くの工場で改修が進み、数万件規模の危険が是正されたと報告されています。事故前と比べれば、少なくとも建物の安全については大きく前進したと見られています。
残された課題
一方で、安全点検だけでは解決しない課題もあります。賃金の水準、労働組合の活動への圧力、短納期を求めるブランド側の発注慣行は、いまも議論の中心です。ファッション業界の消費者運動「ファッション・レボリューション」は、事故の起きた4月に毎年キャンペーンを行い、「誰が私の服を作ったのか」という問いを投げかけ続けています。
日本の企業と制度はどう動いているのか
ここまでは世界の動きでしたが、日本で服を買う私たちにも直接関わる話です。日本の企業と制度の動きを見てみましょう。
日本企業の対応にみられる3つの方向性
日本のアパレル企業の対応は、おおむね次の3つの方向に整理できます。
- アコードなど国際的な安全の枠組みへの参加
- 主要な取引工場のリストを公開し、見える化を進める
- フェアトレードや人権方針に沿った調達を打ち出す
ユニクロを運営するファーストリテイリングは、アコードに署名したほか、主要な縫製工場のリストを公開しています。フェアトレード商品を扱う日本のブランドの中には、バングラデシュを含む生産者と長期の取引を続け、適正な価格と安定した発注を重視する例もあります。取り組みの程度は企業ごとに差があるため、各社の公式サイトで公開されている調達方針や工場リストを見比べると、違いが分かります。
日本政府のガイドラインと「人権デューデリジェンス」
日本政府は2020年に「ビジネスと人権」に関する行動計画をまとめ、2022年9月には経済産業省が「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を公表しました。企業が自社だけでなく、取引先も含めて人権への影響を調べ、改善する「人権デューデリジェンス」を行うことを求めています。
法律で義務づけるEUなどと比べると、日本は現時点ではガイドラインが中心です。それでも、取引先の工場にまで目を向ける流れは、ラナプラザ以降の世界的な潮流と重なっています。
消費者に届く情報はまだ限られている
制度が整いつつあっても、店頭で「この服はどの工場で、どんな条件で作られたか」を知るのは簡単ではありません。タグに書かれているのは、多くの場合「Made in Bangladesh」などの生産国までです。だからこそ、企業が出す情報を読み取る力と、問い合わせる姿勢が、消費者側にも必要になっています。
誤解されやすい3つのポイント
この問題は、単純な善悪で語ると、かえって現場の人を傷つけることがあります。よくある誤解を整理します。
「バングラデシュの服を買わなければ解決する」わけではない
不買は分かりやすい行動ですが、工場の仕事が減れば、真っ先に収入を失うのは現地で働く人たちです。求められているのは、取引をやめることよりも、安全や賃金の改善を条件に責任ある発注を続けることです。ブランドへの問い合わせや、情報を公開している企業を選ぶことのほうが、現実的な後押しになります。
「高い服なら安心」とは言えない
価格が高いことは、労働環境が良いことの保証にはなりません。ラナプラザでは、さまざまな価格帯のブランドの服が作られていたと指摘されています。逆に、低価格でも工場を公開し、安全の枠組みに参加している企業もあります。見るべきは値段ではなく、情報が公開されているか、第三者の確認があるか、という点です。
「事故はもう過去の話」でもない
建物の安全は改善されましたが、賃金、労働時間、組合活動、ハラスメントなどの課題は残っています。また、事故を教訓にした仕組みが及ぶのは、アコードに参加する工場や国に限られます。「10年前の悲劇」ではなく、「いまも続く改善の途中」として捉えるほうが実態に近いでしょう。
服を買うときに今日からできる選び方
構造的な問題を、一人の消費者が解決することはできません。それでも、買い方で伝えられることはあります。次の3つの場面に分けて考えると、行動に移しやすくなります。
買う前に確認すること
- 手持ちの服で代用できないか、着る回数を想像できるか
- ブランドの公式サイトに、調達方針や工場リストがあるか
- 国際アコードやフェアトレードなど、第三者の枠組みに参加しているか
仮に、あるTシャツが極端に安いとします。原材料、縫製、輸送、店舗の利益を差し引くと、工場に回る金額はごくわずかになるはずだ、と考えてみてください。価格から逆算する視点は、判断の助けになります。
買うときの基準
認証ラベルは、すべてを保証するものではありませんが、判断材料にはなります。国際フェアトレード認証や、労働条件も含めた繊維の認証など、何を対象にした認証かを確認してください。タグの生産国表示だけで判断せず、認証や公開情報を組み合わせて見ることが大切です。
買ったあとに長く着る工夫
服を長く着ることは、環境負荷を減らすと同時に、大量生産・短納期の圧力を弱める行動でもあります。繕う、仕立て直す、譲る、古着として回すといった選択肢があります。気に入った服を長く着るために、洗濯表示に沿った手入れをするだけでも、買い替えの回数は変わります。
気になるブランドには、公式サイトの問い合わせフォームやSNSで「工場の情報を公開していますか」と尋ねるのも一つの方法です。一人の声は小さくても、同じ問いが重なれば、企業が動くきっかけになります。
まとめ
ラナプラザの崩壊事故は、1,100人以上の命が失われた悲劇であり、ファストファッションの低価格が、働く人の安全や権利の上に成り立ってしまう構造を明らかにしました。事故後にはアコードが生まれ、建物の安全は大きく前進しました。賃金の引き上げも進んでいますが、生活を支える水準や、組合の権利、ハラスメントといった課題は残っています。
日本でも、企業の工場公開や、政府の人権ガイドラインなどを通じて、サプライチェーンに目を向ける動きが広がっています。ただ、私たちが店頭で得られる情報はまだ限られています。ボイコットでも無関心でもなく、情報を調べ、問い、長く着るという選択を重ねることが、現地の人たちの働き方を後押しします。
まず1つだけ、次に服を買うとき、そのブランドの公式サイトで調達方針のページを開いてみてください。
- ラナプラザ事故は、前日の警告が無視され、働く人が「行かない」と言えなかったことで起きた人災だった
- アコードは、独立した検査と法的拘束力を持つ仕組みとして、建物の安全を大きく改善した
- 賃金・労働時間・組合の権利・ハラスメントなど、安全点検だけでは解決しない課題が残っている
- 不買や価格の高さだけで判断せず、情報公開と第三者の枠組みを確認することが現実的な基準になる
- 長く着る、問い合わせる、認証を見るという小さな行動が、サプライチェーンを変える力になる
参考文献
- International Accord for Health and Safety in the Garment and Textile Industry 公式サイト(随時更新)
- Clean Clothes Campaign「Rana Plaza」(随時更新)
- 経済産業省「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(2022年)

