「ホロドモール」は、1932年から1933年にかけて、ソ連の統治下にあったウクライナなどで起きた大飢饉です。ウクライナ語で「飢餓」と「死に至らしめること」を組み合わせた言葉で、「飢餓による殺害」と訳されます。自然災害だけが原因ではなく、国家の穀物調達政策が深く関わった人為的な飢饉だったという点では、多くの研究者の見方が一致しています。一方で、それを「ジェノサイド」と呼ぶかどうかは、今も議論が続いています。
この記事では、飢饉が起きた仕組みと犠牲者数の読み方を整理します。そのうえで、ジェノサイド認定の現在地と、日本にいる私たちが歴史とどう向き合えるかを考えます。ウクライナでは追悼日が毎年11月の第4土曜日に定められていて、2026年は11月28日です。約6週間後に迫っているこの機会に、まず知るところから始めてみてください。
ホロドモールはなぜ起きたのか|飢饉を生んだ政策の連鎖
ウクライナは国旗の青と金が「空と小麦畑」を表すといわれるほどの穀倉地帯です。その土地で大規模な飢饉が起きたのは、凶作だけでは説明がつきません。背景にあったのは、ソ連が1920年代末から進めた急速な工業化と、それを支えるために農村から穀物を集めるという国家の方針でした。
当時のスターリン政権は、重工業を育てる資金を得るために、農民から低い価格で穀物を買い上げ、輸出して外貨を稼ぐ道を選びました。農民が売り渋れば都市は食糧難になります。この矛盾を力で押し切ろうとしたことが、悲劇の土台になりました。
集団化と穀物調達のノルマ
1929年ごろから、個人の農地を取り上げて集団農場(コルホーズ)にまとめる「全面的集団化」が進められました。加わることを拒む農家は、豊かな農家を意味する「クラーク」とみなされ、財産の没収や強制移住の対象になりました。実際には、数頭の家畜を持つだけの農家まで広くこの呼び名で括られたと伝えられています。
集団農場には、収穫量とは関係なく国が決めた調達ノルマが課されました。1932年は前年より収穫が大きく落ち込んだとされますが、徴発は続けられ、地域によっては農民の手元に種や食べる分さえ残らなくなりました。
1932年から33年にかけて強まった統制
1932年8月の法令では、集団農場の穀物を「社会主義的財産」として扱い、落ち穂を拾うだけでも厳しく処罰できるとされました。同年11月には、ノルマを果たせない村や農場を「ブラックリスト」に載せ、穀物や家畜の没収、商店の閉鎖といった懲罰を科す措置がとられました。
1933年1月には国内パスポート制度が導入され、農民が食べ物を求めて村を出ることも難しくなりました。同じ1932年の秋には、スターリンがウクライナの統制を強めなければ「ウクライナを失いかねない」という趣旨の書簡を送ったことも知られています。飢えが広がるなかで、救済よりも統制と徴発が優先されたことが、被害を深刻にしたと考えられています。
犠牲者数はなぜ幅があるのか|数字の読み方
ホロドモールの犠牲者数について、日本語の資料で最もよく目にするのは「350万人から500万人」という推計です。CNNに寄稿したウクライナ出身の筆者は「400万人」と書いています。数字が一つに定まらないのは、調査が不十分だったからというより、当時の状況に原因があります。
当時のソ連は飢饉の存在そのものを公式には認めず、死亡の記録を正確に残さなかったり、のちに改ざんしたりしました。そのため研究者は、国勢調査と出生・死亡の統計を突き合わせ、本来あるはずだった人口との差から損失を推計します。この方法では、前提の置き方で結果が変わります。
数字を読むときは、次の3点を確認するのが目安になります。ひとつは、飢饉による死亡者だけを数えているのか、生まれるはずだった子どもの減少まで含めているのかという範囲です。ふたつめは、ウクライナ共和国の領域内だけなのか、北カフカースのクバーニなどウクライナ人が多く住んだ地域まで含むのかという地理的な範囲です。みっつめは、数字を出したのが人口学者なのか、政治的な主張の文脈なのかという出どころです。
推計に幅があることは、飢饉が起きた事実を揺るがすものではありません。「確実に言えること」と「まだ幅のあること」を分けて受け止めることが、誠実な向き合い方だと考えられます。
ジェノサイドと認定すべきか|歴史学・政治・法の分かれ目
ホロドモールを「ジェノサイド」と呼べるかどうかは、研究者のあいだでも見解が分かれています。ここでは、議論の中身と、各国の動きを整理します。
認定する国と機関の広がり
欧州議会は2022年12月、ホロドモールをウクライナ人に対するジェノサイドと認める決議を、賛成507、反対12、棄権17で採択しました。決議は各国や国際機関にも同様の対応を求めています。決議にはロシアによる穀物の破壊や略奪への言及もあり、過去の飢饉と現在の戦争を結びつけて語る文脈になっています。
各国の議会でも認定が相次ぎ、2025年1月時点で35か国が認定しているとする集計があります。2024年9月にスイスが加わったのが直近とされます。国連総会としてジェノサイドと認定した事実はありません。
慎重論と研究者の議論
慎重な見方の中心にあるのは、特定の民族を絶滅させる意図を示す明確な命令文書が見つかっていないという点です。工業化と集団化の政策が主因で、最初は意図しない結果だったという見方があります。その一方で、飢饉が深刻化した後は、ウクライナ人の民族意識を抑えるために飢餓が選択的に利用されたという中間的な見方もあります。
ロシアは、民族を標的にしたジェノサイドであることを示す歴史的証拠はないとして、認定に反対の立場をとっています。ロシア政府は、同じ時期の飢饉はソ連全体の悲劇だったと位置づけています。カザフスタンなどでも深刻な飢饉が起きたことは知られており、ウクライナだけの出来事ではなかったという事実は、議論の前提として押さえておく必要があります。
日本ではどうか
日本の政府や国会がホロドモールをジェノサイドと認定したことを示す公式資料は、今回調べた範囲では確認できませんでした。日本での取り組みとしては、2016年と2022年に東京の教会で、宗教の違いを超えた追悼祈祷式が開かれたことが報じられています。
ここで大切なのは、「歴史的事実としての飢饉」と「法的・政治的な評価としてのジェノサイド認定」を分けて考えることです。前者について、飢餓で多くの人が亡くなり、国家の政策が深く関わったことは、広く共有されています。後者は、意図をどこまで認めるかという解釈の問題なので、今後も議論が続くと考えられます。
長く語れなかった歴史|隠された飢饉と、伝えようとした人たち
ホロドモールが「私たちが知らない歴史」になっている理由のひとつは、長いあいだ公の場で語ることが許されなかったことにあります。ソ連時代、飢饉の存在を語ること自体がタブーでした。国外では、記者や外交官が現地の様子を伝えようとしても、疑いの目で見られたり、ソ連当局の発表に打ち消されたりしました。
状況が変わったのは1980年代後半です。ゴルバチョフ政権下のグラスノスチ(情報公開)のなかで公文書が公開されはじめ、否定を続けることが難しくなりました。1991年のウクライナ独立後は、生き残った人々の証言の記録や学校教育での扱いが進んでいます。
映画『赤い闇』が描いた記者の取材
この歴史に触れる入口として、2020年8月14日に日本で公開された映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(アグニェシュカ・ホランド監督)があります。実在した英国人記者ガレス・ジョーンズが、ソ連の工業化の「成功」に疑問を抱き、現地に入ってウクライナの飢饉を目撃する物語です。
映画は実話に基づきつつ、脚色も含みます。そのため、作品を見たあとに、史実と演出の境目を別の資料で確かめることをおすすめします。映像の衝撃が強い場面もあるので、気持ちに余裕のあるときに見るのがよいでしょう。
記憶は家庭の中でも受け継がれる
CNNに寄稿したウクライナ出身の筆者は、パンくずをテーブルに残さないという習慣を通じて、祖父母から飢饉の記憶を受け継いだと書いています。歴史の知識として学ぶだけでなく、日々の暮らしの中で食べ物を大切にする感覚として世代を超えて伝わってきたのです。
現在の戦争とホロドモールをどう結びつけて理解するか|誤解されやすい3つの点
2022年にロシアによるウクライナ侵攻が始まって以降、ホロドモールは「いまの戦争の背景」として語られる機会が増えました。結びつけて考える視点は大切ですが、短絡すると誤解を生みます。
記憶は理由のひとつであって、唯一の理由ではない
ウクライナの人々が降伏を選ばない理由として、ホロドモールの記憶に触れる論考は少なくありません。国を奪われることへの恐れが、歴史的な経験と重なって語られるのは自然なことです。ただ、戦争が続く理由は、安全保障や領土、国際政治など複数の要因が重なっています。一つの歴史だけで説明し切ろうとしないことが、誠実な見方だと考えられます。
「ロシアの人々」と「ソ連の政策」を混同しない
飢饉を引き起こしたのは、当時のソ連の政権と政策です。現在のロシアに暮らす一人ひとりを、歴史上の加害と結びつけて語ることは適切ではありません。ソ連時代には、ロシアの農村でも飢えに苦しんだ人々がいました。国家の決定と、そこに暮らす人々を分けて考える姿勢が、感情的な対立を避ける助けになります。
「過去の話」として切り離さない
一方で、食料が政治や戦争の道具になりうるという点は、過去と現在に共通する論点です。欧州議会の決議も、ロシアによる穀物の破壊と略奪、輸出の妨害が世界の食料危機を悪化させていると述べています。
こうした状況への支援として、ウクライナは2022年から「Grain from Ukraine」という人道支援の枠組みを続けています。国連世界食糧計画(WFP)などと連携して、アフリカ、アジア、中東の食料不安が深刻な国へウクライナ産の食料を届ける取り組みです。2025年4月時点で、15か国に計28万トン超が届けられたと報じられています。かつて飢餓を経験した国の穀物が、いま他の国の飢えを支える側にも回っている、という事実も知っておきたい点です。
日本にいる私たちにできること|追悼日・学び方・食との向き合い方
遠い国の歴史に対して、日本で暮らす私たちができることは限られているように感じるかもしれません。それでも、知ることと思い出すことは、今日からでも始められます。
追悼日に思いを寄せる
追悼日は、毎年11月の第4土曜日です。2025年は11月22日に、ウクライナ全土で黙とうが捧げられ、各地でろうそくが灯されました。2026年は11月28日です。当日に犠牲者を思って黙とうする、ニュースを読んで一人分の体験談に触れる、といった小さな関わり方でも十分です。
歴史を学ぶときの3つの目安
学ぶ際には、ひとつの記事や動画で結論を出さないことをおすすめします。まず、事実(飢饉の発生、政策、犠牲の規模)と評価(ジェノサイドか否か)を分けて読みます。次に、ウクライナ側・ロシア側・第三国の研究者など、立場の違う情報源を2つ以上見比べます。最後に、数字が出てきたら、誰がどの範囲で出した推計かを確かめます。この三つを意識するだけで、情報の偏りに気づきやすくなります。
食べ物を大切にするという実践
CNNの寄稿にあったパンくずの習慣は、私たちにとっても身近な行動につながります。日本の食品ロスは年間を通じて大きな課題ですが、食べ物を無駄にしない暮らしの工夫は、飢えの歴史を知る人々への敬意の表し方のひとつになりえます。大きな行動を目指さなくても、今日の食卓で「食べきる」ことから試せます。
まとめ
ホロドモールは、1932年から1933年にかけて、集団化と穀物調達の強制が重なって起きた人為的な飢饉です。犠牲者数は350万人から500万人とする推計が広く紹介されていますが、数え方によって幅があります。欧州議会や35か国がジェノサイドと認定する一方、意図の有無をめぐる研究者の議論は続いています。
現在の戦争と結びつけて考えるときは、記憶を理由のひとつとして受け止めつつ、国家の政策と人々を混同しないことが欠かせません。食料が武器になりうるという教訓は、いまも世界の食料支援のあり方に関わっています。
日本にいる私たちにとっては、事実と評価を分けて学び、追悼日に思いを寄せることが、無理なく続けられる関わり方です。まず1つだけ試すなら、2026年11月28日の追悼日に、犠牲者を思って静かに黙とうしてみてください。
- ホロドモールは、工業化の資金を穀物の徴発で賄おうとした政策が引き起こした人為的な飢饉とされる
- 犠牲者は350万人から500万人とする推計が広く紹介され、数字は範囲と出どころで読み分ける
- ジェノサイド認定は2025年1月時点で35か国と欧州議会が行い、研究者の議論は続いている
- 現在の戦争との結びつけ方では、記憶を唯一の理由とせず、国家の政策と人々を混同しない
- 追悼日は毎年11月の第4土曜日で、2026年は11月28日
参考文献
- 欧州対外行動庁(EEAS)ウクライナ代表部「Holodomor: Parliament recognises Soviet starvation of Ukrainians as genocide」(2022年)
- Kyiv Independent「European Parliament recognizes Holodomor as genocide against Ukrainian people」(2022年)
- Wikipedia「Holodomor in modern politics」(随時更新)
- Wikipedia「Holodomor」(随時更新)
- CNN.co.jp「ウクライナの歴史的飢饉『ホロドモール』と現在の戦争」(2022年)
- National Museum of the Holodomor-Genocide「22 November is Remembrance Day for the Holodomor Victims」(2025年)
- Interfax-Ukraine「Grain from Ukraine」関連報道(2025年)
- 映画.com「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(2020年)

