「ホロドモール」という単語を聞いたことがありますか?
「ホロドモール」とは、1932年から1933年にウクライナでおきた大飢餓のことです。
ウクライナの国旗の色は、上が青色、下が金色。
この色は広大な空と小麦畑を表しているといわれています。
「小麦が潤沢なウクライナがなぜ大飢餓に見舞われたのか?」
この記事ではホロドモールの経緯や犠牲者、またロシアによるウクライナ侵攻が長引いている理由をご紹介します。
ホロドモールとは?なぜ起きたのか?
ホロドモールとは、ウクライナ語の造語です。
ホロド…飢えや飢餓
モル…殺害や抹消
を意味し、「飢餓による殺害」と訳されています。
このホロドモールは、1932年から1933年にウクライナ・北カフカ―ス・クバーニなどウクライナ人が住んでいた地域でおきた大飢餓のこと。
真実の議論は現在も続いていますが、このホロドモールによる犠牲者は400万人以上と言われており、ただの飢餓ではなく人為的な大量殺害だったといわれています。
ホロドモールが起きた背景
ホロドモールが起きたのは、1932年。
その背景にあるのが、1930年代に起きた世界恐慌です。
世界恐慌は大恐慌とも呼ばれ、1929年10月にNYの株式取引所で株式が大暴落したことで、アメリカだけでなく世界的に不況が拡がったことを指します。
企業は倒産し、銀行は閉鎖、経済が一挙に深刻になり1,300万人(4人に1人)の失業者があふれたといわれています。
この恐慌により、アジア諸国も影響を受けました。
しかしその中でも、ロシアだけは経済発展を遂げていました。
なぜ、ロシアだけ経済発展を遂げていたのか?
それは、スターリン政権による5カ年計画が関係していたからです。
スターリン政権による5カ年計画とは?
ロシアが世界恐慌による経済的な影響を受けなかったのは、スターリン政権による「五カ年計画」という経済政策をおこなっていたからです。
スターリンとは、1922年にソ連の共産党書記長となり、1924~1953年にソ連の独裁的権力をにぎった人物です。
スターリンによる「五カ年計画」は、鋼鉄や石炭などの重工業に力を入れるために農民から安く穀物を買い上げ、穀物の輸出で得た利益を工業化に回し発展につなげる政策のことです。
この5ヶ年計画により、ホロドモールが起こる原因となったのです。
次の章では、どのような政策を行ったのか詳しく解説します。
全面的集団化(コルホーズ)
農民が穀物を安く買い取ろうとする国への販売を渋ったことで、1925年より穀物の価格が上昇しました。
その結果、都市部が食糧難となり強制的に穀物の調達をするために、1929年に全面的集団化が実施されました。
集団化に従わない場合、
・全面的集団化(コルホーズ)への強制加入
・強制移住
など集団化対策への反対者は、反政府的であるとみなされ厳しい処罰を与えられます。
クラーク撲滅運動
穀物の調達難の原因は、クラーク(経済的に豊かな農家)の売り惜しみのせいとされ「クラーク撲滅運動」が実施されました。
政府にとって、経済能力や読み書きの能力があるクラークは、農業を牛耳る最悪の敵としてみなされたのです。
「クラーク撲滅運動」により、1000万人のクラークが追放され、200万人が北極とシベリアの強制収容所に強制移住させられました。
その数は、当時の人口の一割の400万~600万人。
その多くが死亡したといわれています。
本来クラークの定義は、他人を労働として農家を営んでいる人です。
しかし実際のクラークは1918年にすでに消滅しており、牛を2~3頭飼っているだけでもクラークの対象となり、クラーク撲滅運動の対象となっていました。
社会主義的財産保護法
1932年8月スターリン政権により、「社会主義的財産保護法」が成立しました。
社会主義的財産保護法により、穀物は「社会主義的財産」とみなされ、国に納めるべきものとなります。
その結果、農民は自分たちが食べる分も取られ、また食糧を隠している者や、穂を刈るだけでも全財産没収や死刑・10年の刑になったといわれています。
また農民の移動を制限するために、国内パスポートが交付されず都市部に仕事を探しに行くことができず、強制労働を強いられる人がたくさんいました。
ロシアとウクライナの現在の関係性とホロドモールの真実
2022年9月現在も続いているロシアによるウクライナ侵攻を見てもわかるように、ロシアとウクライナの関係は良好とはいえない状況です。
その背景には、ロシアとウクライナの長い歴史が関係しています。
ウクライナは13世紀のモンゴルによる侵攻がきっかけで、ウクライナ一帯は様々な国に支配され、ソ連を構成する共和国のひとつとなりました。
その後、ソ連のスターリン政権による5カ年計画によりホロドモールがおこり、このホロドモールはウクライナ人にとって大きな心の傷として残っています。
ですので、ウクライナ市民の犠牲者が増え続ける中でもウクライナはロシアに降伏しない、したくないのです。
「またロシアに国を奪われてしまうのではないか」という恐怖を、ウクライナの人たちが抱えていることが大きな理由でしょう。
ホロドモールがジェノサイド(大量虐殺)だったのか?
ホロドモールがジェノサイド(大量虐殺)であったかは現在も議論が続いており、民族の絶滅のためのジェノサイドであったのか、クラークだけが標的となったジェノサイドであったか定かになっていません。
そんな中2006年には、「ホロドモールを大量虐殺と認める法律」「大量虐殺ではないと否定すると罰金」など法律を制定しています。
しかしずっとタブーとされていたホロドモールは、2010年にウクライナ人におけるホロドモール組織を実施したヨシフ・スターリンをはじめ、ソ連の指導者を犯罪者に認定しています。
真実を追求した映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地」
ホロドモールの真実について興味を持った方は、観てみてはいかがでしょうか?
2020年に公開された「赤い闇 スターリンの冷たい大地」は、命がけで真実を追求したジャーナリストの実話ベースの映画です。
主人公は英国首相の外交顧問を務める記者、ガレス・ジョーンズ。
世界が大不況の中、ロシアだけが経済発展を続けていることに疑問を感じた主人公は、モスクワに潜り込みます。
そして、この人物によってロシアが隠していた飢餓が世界中に公になるのです。
路上に転がる遺体など、衝撃的な映像に目をそむけたくなるリアルな描写などもあります。
しかし、ソ連政府により犠牲になった多くの人がいるという真実や、その真実を伝えようと命をかけた人物がいることを感じられる作品になっています。
ホロドモール犠牲者追悼の日に祈ること
11月第4土曜日。
ウクライナでは「ホロドモール犠牲者追悼の日」と定められています。
スターリン政権によって犠牲になった人たちを追悼するイベントが、ウクライナ全土で開催され、各家庭でろうそくを灯し、黙とうを捧げます。
わたしたちは遠く離れた場所に住み、歴史の授業でも深く習わない中に、想像以上に残酷な現実が存在しています。
「わたしたちに今できることはあるのだろうか?」
「同じことを繰り返してはいけない」
ひとりでも多くの人が、そう思いながら生きることで同じ過ちを繰り返さずにすむのではないでしょうか。
またウクライナ侵攻が1日も早く終わり、1人でも犠牲者が増えないことを祈らずにいられません。
参照元:
・本日、ウクライナはホロドモール犠牲者追悼の日|UKRINFORM
・ホロドモール|wikipedia
・【徹底解説】ウクライナが“絶対降伏しない理由” ホロドモールに刻まれた心の傷と恐怖の記憶|nippon.com