『救缶鳥プロジェクト』は賞味期限前の防災用のパンを回収し、国内外の災害地域や食糧難地域へ支援物資として運ぶ株式会社パン・アキモトの取り組みです。
社長の秋元さんは、自分たちの作ったパンが被災地で捨てられてしまった苦い経験から『救缶鳥プロジェクト』を始めました。長期保存が可能な防災用のパンを製造、販売。賞味期限切れで捨てられる前に回収し、国内外の被災地や飢餓に苦しむ地域に送っています。
どのように防災用のパンが支援物資に変わるのか?ご紹介します。
『救缶鳥プロジェクト』は非常食が食料支援になる仕組み
『救缶鳥プロジェクト』は栃木県那須塩原市の株式会社パン・アキモトの取り組みです。
防災用のパンが詰まった「パンの缶詰」は家庭・企業・行政で備蓄され、その後賞味期限の1年前に回収、世界の飢餓や災害で苦しむ人々へ届けられます。つまりフードロス問題の解決につながり、国際支援にもなる画期的な仕組みなのです。
アイディアが生まれた背景には、被災地でパンが大量に捨てられてしまった苦い過去がありました。
『救缶鳥プロジェクト』のきっかけは阪神淡路大震災
どうして町のパン屋さんが食料支援を始めたのでしょうか?
きっかけは平成7年の阪神・淡路大震災。大きな被害を知ったパン・アキモトは、2,000食以上のパンを自社のトラックに詰めて、被災地へ届けました。しかし被災地は混乱の中だったので、パンは消費期限内に被災者の手に渡らず、破棄されてしまったそう。
賞味期限が長い非常食といえば乾パンですが、それだけ食べていては心が荒んでしまいます。「柔らかくおいしいままのパンを、長期間保存するにはどうすればいいか?」たどり着いたのが「パンの缶詰」でした。
秋元さんは試行錯誤の末に賞味期限約3年の「パンの缶詰」を開発。防腐剤を使用していないというから驚きです。「パンの缶詰」はおいしい非常食として評判になり、全国に広まりました。
しかし賞味期限が長いからといっても、期限が過ぎれば捨てられてしまいます。非常食は被災しない限り、食べられないことがほとんどです。秋元さんはまたもやパンが破棄されてしまう現実に遭遇します。
そこで、賞味期限が切れる前に購入者から「パンの缶詰」を回収し、被災地や飢餓問題に苦しむ地域に送る『救缶鳥プロジェクト』を思いつきます。パンを捨てることなく、しかも支援先にも喜ばれる仕組みです。
一筋縄にいかなかった発足時の『救缶鳥プロジェクト』
『救缶鳥プロジェクト』の仕組み作りは困難を極めました。
なぜならお客様から回収するコストと、回収した『救缶鳥』を海外に送る輸送費が莫大にかかってしまうからです。
秋元さんは試行錯誤を繰り返します。NGO「日本国際飢餓対策機構」と提携し世界各地へパンを届けたり、北越紀州製紙株式会社の協力を得てアフリカのエスワティニ王国へ定期的にパンを届けたりして、輸送の仕組みを構築。輸送費を抑えることに成功しました。
他の会社や団体の協力のおかげもあり、『救缶鳥プロジェクト』は開始10年で国内の被災地に約15万食、世界各地には70万食を届けることができたそうです。
「片目で地元を見ながら、もう一方の目で世界を見据える企業を目指したい」社長・秋元さんの思い
秋元さんはこう語ります。
「片目で地元を見ながら、もう一方の目で世界を見据える企業を目指したい」
本社の横には直営店の「石窯パン工房 きらむぎ」があり、長年地元の人に愛されています。また、敷地内には子供たちが遊べるように廃タイヤを用いた広場が。地域を大切にする気持ちが伝わってきます。
『救缶鳥プロジェクト』では秋元さん自ら現地に赴くことも。今まで東日本大震災の被災地や、中央アフリカのハイチ共和国など多くの場所に足を運んできました。
那須塩原市に根付きながらも、世界に目を向ける。秋元さんの言葉が体現されています。
まとめ
国際貢献やSDGsと聞くと、壮大なイメージを持つかもしれません。しかし『救缶鳥プロジェクト』は、本業を国際貢献に繋げられることを教えてくれます。
『救缶鳥プロジェクト』は「パンを被災地に届けたい。」という思いから始まり、国内の被災地、海外の食糧難の地域へと支援の輪を広げていきました。自分の周りから支援の輪を広げる方法を示してくれてます。
国際貢献は自分が今していることの延長にあるのかもしれません。
▼ 株式会社パン・アキモトのHPはこちら
https://www.panakimoto.com