地球上には、人間以外にも数え切れないほどの生き物が暮らしています。現在確認されているだけで約175万種、未知のものを含めると3,000万種以上とも推計されており、それぞれが複雑に絡み合いながら生態系を支えています。この「多種多様な生き物が互いに依存しながら存在する状態」を生物多様性と呼びます。
WWFが2024年に発表した「生きている地球レポート2024」は、1970年から2020年の50年間で野生生物の個体群の規模を示す「生きている地球指数(LPI)」が73%も減少したと報告しています。
かつては当たり前のように見られた生き物たちが、私たちの目から急速に失われているのです。
この記事では、生物多様性とは何か、失われると何が起きるのか、そして世界と日本がいま取り組んでいる対策の最前線までを整理します。
生物多様性とは何か|3つの柱で理解する
「生物多様性(biodiversity)」という言葉が登場したのは1985年のことで、「biological(生物の)」と「diversity(多様性)」を組み合わせた造語です。地球環境への危機感と絶滅危惧種への問題意識が高まる中で生まれました。
生物多様性は、大きく3つの層で構成されています。
生態系の多様性
森林・湿地・サンゴ礁・草原・深海など、地球上にはさまざまな生態系が存在します。それぞれの生態系では食物連鎖が成り立っており、植物を虫が食べ、虫を鳥や小動物が食べ、それらを大型動物が食べ、やがて死んだ生き物は微生物が分解して土に返します。このサイクルが連なることで、特定の種だけが爆発的に増えることなく、自然のバランスが維持されています。
種の多様性
「種(しゅ)」とは生き物を分類する単位で、ヒト・ネコ・イヌはそれぞれ異なる種です。動物だけでなく植物・菌類・微生物まで含めると、現在発見されているだけで175万種以上にのぼります。IUCN(国際自然保護連合)は、そのうち4万種以上が絶滅の危機にさらされていると評価しており、これは全評価種の27%以上に相当します。
遺伝子の多様性
同じ種の中でも、個体ごとに遺伝子の組み合わせは異なります。この違いが、病気や環境変化への適応力を生み出します。遺伝的多様性が失われると、特定の病原体に集団全体が感染しやすくなるなど、種の存続リスクが高まります。
生物多様性が私たちの暮らしを支える仕組み
生物多様性は、「自然を守る」という観念的な話にとどまりません。私たちが毎日の生活で受け取っている恩恵の大部分が、生態系によって成り立っています。これを「生態系サービス」と呼び、4種類に整理できます。
供給サービス
食料・水・木材・繊維・医薬品など、生活に直接使われる物質を生態系から得ることを指します。日本人の主食であるお米は、水・土壌微生物・受粉昆虫といった多様な生き物の連携があって初めて実ります。WWFによると、現代医学で使われる医薬品の成分には5万〜7万種もの植物由来の物質が活用されているとされています。
調整サービス
気候の安定・洪水の緩和・水質浄化・花粉の受粉など、生態系が自然プロセスを調整する働きです。森林が二酸化炭素を吸収することや、湿地が降雨を一時的に貯えて洪水を抑えることも、この調整サービスに含まれます。
文化的サービス
自然の中での観光・レクリエーション・精神的安らぎ・教育といった、人間の精神的豊かさに関わる恩恵です。里山の風景や海岸の景色が観光資源になることも、文化的サービスの一例です。
基盤サービス
上の3つを支える土台です。植物の光合成による酸素生産、土壌形成、水の循環などが含まれます。基盤サービスなしには他のサービスも成立しません。
生物多様性が失われると何が起きるか
生き物が1種絶滅しても「大した影響はない」と思われがちですが、実際には生態系全体が連鎖的に変化します。具体的な事例を見ると、その深刻さが伝わります。
食物連鎖の崩壊と食害の拡大
日本ではかつてニホンオオカミが各地に生息していましたが、20世紀初頭に絶滅しました。頂点捕食者を失った森では、シカやイノシシの個体数が急増し、木の皮や根を食い尽くす食害が深刻化しています。環境省の調査によると、シカによる農林業被害は全国で年間数十億円規模に達しており、美しい森が荒廃していく一因となっています。
受粉者の減少による農業生産への打撃
野菜や果物の多くは、ミツバチやチョウなどの昆虫による受粉がなければ実をつけません。しかし、農薬の使用・生息地の消失・気候変動などの影響で、受粉を担う昆虫が世界的に減少しています。FAO(国連食糧農業機関)は、世界の食料生産の約3分の1が受粉昆虫に依存していると試算しており、これらが失われれば農業生産に直接の打撃を与えます。
新興感染症リスクの増加
生態系が豊かであると、病原体は多様な野生生物の間で分散されます。しかし森林破壊などで動物の生息地が失われると、野生動物と人間の接触機会が増え、新たな感染症が人間社会へ侵入するリスクが高まります。2020年代に相次いだ感染症パンデミックの背景に、生物多様性の喪失があるとする研究者も少なくありません。
気候変動との悪循環
森林や海洋の生態系は、大気中のCO₂を吸収・固定する「炭素吸収源」として機能しています。生物多様性が失われて生態系が劣化すれば、この吸収機能も低下し、気候変動がさらに加速します。 平均気温が1.5〜2.5度上がると、高山帯の縮小や海面温度の上昇によって、動植物の20〜30%は絶滅のリスクが高まるといわれています。 気候変動と生物多様性の喪失は互いを悪化させる悪循環を生み出しているのです。
なぜこれほど速く失われているのか|4つの主要な原因
地球の歴史上、絶滅は何度も起きてきました。しかし現在の絶滅速度は、人間が関与しない自然な絶滅速度の1,000〜10,000倍に相当するとされています。その原因は複合的ですが、大きく4つに整理できます。
自然環境の破壊と開発
都市化・農地拡大・採掘などによる森林や湿地の破壊が、生物多様性喪失の最大の要因とされています。生息地を失った種は急速に数を減らします。また、道路が森林を分断すると動物の移動ルートが遮断され、小さな孤立した生息地に閉じ込められた個体群は遺伝的多様性を失い、絶滅リスクが高まります。
里山の荒廃
日本では少子高齢化と過疎化が進み、かつて人の手で管理されていた里山が急速に放置されるようになりました。適度な人の関与があってこそ保たれていた明るい二次林や草地が暗い密林に変わり、光を好む希少種が姿を消しています。 日本自然保護協会が2025年6月にNature Sustainabilityで発表した研究では、人口減少が日本の里地里山の生物多様性の損失につながる可能性があることが明らかになっています。 「人口が減れば自然が回復する」とは単純に言えない現状が浮かび上がっています。
外来種の侵入
本来その土地に存在しなかった外来種が持ち込まれると、天敵がいないため爆発的に繁殖し、在来種の生存域を奪います。日本でもブラックバスやオオキンケイギクなど多くの外来種が問題化しています。 外来種が在来種を捕食したり、生息場所を奪ったり、交雑して遺伝的な攪乱をもたらしたりしています。 島国である日本は固有種の割合が高く、その影響は特に深刻です。
気候変動と海洋酸性化
環境省による全国調査では、鳥類・蝶類ともに年間減少率が絶滅危惧種の認定基準を上回る水準を示していました。今回減少傾向が示された多くの生物種は、以前は身近によく見ることができた「普通種」でした。 かつて当たり前だった風景が、私たちの目の前から消えつつあるのです。
国際的な目標と枠組み|昆明モントリオール合意と30by30
生物多様性の保全に向けた国際的な取り組みは、気候変動対策と並んで世界が力を注ぐ政策課題になっています。
2022年12月、カナダ・モントリオールで開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)では、「昆明モントリオール生物多様性枠組み」が採択されました。この枠組みの最も注目される目標の一つが「30by30」です。2030年までに陸域・海域の少なくとも30%を保護地域として保全するというものです。
日本政府も30by30目標を国家戦略に組み込んでおり、環境省を中心に自然共生サイト(企業や団体が管理する生物多様性保全上重要な土地を認定する制度)の拡大などを進めています。2024年時点では、日本の陸域保護面積は約20%程度とされており、2030年の30%達成に向けた取り組みが急がれています。
世界経済フォーラムが公表している「グローバルリスク報告書」では、生物多様性が気候変動と並ぶリスクファクターとして挙げられており、金融機関や投資家の間でも自然関連リスクへの対応が不可欠な経営課題になっています。
生物多様性とSDGs|目標14・15との関係
SDGs(持続可能な開発目標)でも、生物多様性は重要な位置を占めています。
SDGs目標15「陸の豊かさを守ろう」は、陸の生態系の保護・回復・持続可能な利用を求めるもので、12個のターゲットが設定されています。その具体的な手段の一つが「FSC認証」です。持続可能な方法で管理された森林から生産された木材や紙製品に与えられる認証マークで、製品を選ぶ際の判断基準になります。
SDGs目標14「海の豊かさを守ろう」は、地球表面の約70%を占める海の生態系を守ることを目指します。サンゴ礁・マングローブ・海草藻場といった沿岸生態系は、膨大な種の生息地であるとともに、炭素吸収源としても機能しています。
陸と海の両方の生態系を守ることが、生物多様性保全の柱であり、SDGsの「誰一人取り残さない」という理念の根底にある自然資本の維持につながります。
生物多様性の乱れが引き起こす身近な被害の一つに、バッタの大量発生(蝗害)があります。食料安全保障とも直結するこの問題については、こちらの記事で詳しく解説しています。
企業と個人に広がる取り組みの最前線
生物多様性を守るための行動は、政府や国際機関だけでなく、企業や一般市民にも広がっています。
関西電力グループの生態系保全
関西電力グループは、発電所建設地に環境に適した植物を植栽して自然に近い森を再生する取り組みを続けています。また、兵庫県立大学・兵庫県コウノトリの郷公園と連携し、人工的に育てたコウノトリを野生に戻す活動や、電線との衝突を防ぐ設備改良なども行っています。
株式会社ニチレイのマングローブ保全
株式会社ニチレイは、エビの養殖でマングローブが失われることを問題視し、環境負荷の低い粗放養殖を採用しています。さらに、その販売収益の一部をマングローブ基金へ寄付し、沿岸生態系の保全を支援しています。
TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)と企業の対応
2023年に正式フレームワークが公開されたTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)は、企業が自然資本・生物多様性に関するリスクと機会を開示するための枠組みです。気候変動に関するTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)と並んで、投資家や金融機関が企業を評価する際の重要指標になりつつあります。 欧米を中心とする大手金融機関が「金融による生物多様性誓約」に署名する動きや、2030年までに生物多様性の損失を防ぎ回復するという世界目標に機関投資家が貢献することを目的とするイニシアティブ「Nature Action 100」などが設立されており、生物多様性は「環境問題の一つ」から「経営リスク」へと位置づけが変わっています。日本の大手企業でもTNFDに沿った情報開示を進める動きが広がっています。
消費者としてできること
個人ができる最初の一歩は、購買行動を変えることです。FSC認証の紙製品やMSC認証の水産物を選ぶ、国産・地場の食材を優先する、外来植物を庭に植えないといった選択が、積み重なると大きな力になります。また、地域の里山保全活動やビオトープ整備のボランティアに参加することも、生息地を守る直接的な行動です。
まとめ|生物多様性を守ることは、私たちの未来を守ること
WWFの「生きている地球レポート2024」が示した73%という数字は、この50年間で私たちがいかに多くの「仲間」を失ったかを物語っています。生物多様性の喪失は遠い山奥や深海の話ではなく、私たちの食卓・医療・気候・防災に直結する問題です。
国際社会は昆明モントリオール枠組みで2030年に向けた目標を定め、企業はTNFDで自然リスクの開示を始め、研究者は人口変動が里山の生き物に与える影響を解明しています。この流れの中で、消費者一人ひとりの選択もかつてなく重要になっています。
今日から試せることをまとめます。
- 食材や日用品を選ぶとき、FSC・MSCなど認証マークを一つ確認してみる
- 地域の里山保全・植樹活動などに関心を持ち、参加機会を探してみる
- 外来種の植物やペットを野外に放出・投棄しない習慣を身につける
- 企業の環境・生物多様性への取り組みを購買判断の一つの軸にする
まず1つだけ——買い物の際に認証マークを探すところから始めてみてください。


