インドの大気汚染が深刻化しているのはなぜか。原因は経済成長だけではありません。自動車、工場、発電、建設粉塵、家庭での薪やごみの燃焼など複数の排出源が重なっています。そこに、秋の野焼き、ディワリの花火、冬に空気が動かなくなる気象条件が加わって、とくに首都デリーとその周辺で悪化します。大気汚染とは、人の健康に害を与える微小粒子状物質(PM2.5)などが空気中に増えた状態を指します。ここでは、最新の数値と研究、インド政府の対策、日本に暮らす私たちにつながる視点を順に整理します。
いまは10月中旬で、北インドでは汚染が目立ち始める季節です。今年のディワリも11月上旬に迎えます。どんな要因がどの時期に効くのかを知っておくと、毎年の「デリーの空が真っ白」というニュースが読み解きやすくなります。
インドの大気汚染は、いまどれほど深刻なのか
まず現状です。スイスの大気質調査企業IQAirが2026年に公表した2025年の世界大気質報告では、インドは平均PM2.5濃度で世界6番目に汚染された国とされました。最も汚染された都市には、首都デリーに隣接するウッタル・プラデーシュ州のロニが挙げられています。深刻な地域は首都だけではなく、北インドの広い範囲に及んでいます。
デリーのPM2.5はWHO指針の20倍超
シカゴ大学エネルギー政策研究所の大気質生命指数(AQLI)の分析によると、2024年のデリーの年平均PM2.5濃度は1立方メートルあたり108.3マイクログラムでした。WHOの年間指針値(5マイクログラム)の20倍を超える水準です。同じ分析は、デリー住民の平均寿命が大気汚染によって8.2年短くなっていると試算しています。インド全体の平均は3.5年です。
汚染は「健康」と「暮らし」の問題
PM2.5は髪の毛の太さの30分の1ほどの粒子で、肺の奥から血流に入り込みます。呼吸器や心臓の病気のリスクを高めるため、汚染がひどい日には学校が休校になったり、工事が止まったり、屋外での運動が控えられたりします。大気汚染は環境問題であると同時に、子どもの教育や高齢者の健康、働く人の収入にもかかわる社会課題です。屋内でも空気清浄機を買える家庭と、そうでない家庭とでは、同じ空気の下でも受ける影響が異なります。
原因は経済成長だけではない|発生源の内訳
インドの大気汚染が深刻化している背景として、経済成長はたしかに大きな要因です。工場が増え、車を持つ世帯が増え、電力の需要も伸びています。ただ、実際の発生源は多岐にわたり、「成長が原因」とひとことでは片づけられません。
自動車、工場、発電
都市部では自動車の排ガスが大きな割合を占めます。AQLIが引用する2018年の研究では、デリーのPM2.5のうち自動車が18〜23%、工業が11〜13%でした。工場や発電所の煙突から出る排出は、風に乗って隣接する州から届くこともあります。
建設粉塵と、暮らしの中の燃焼
同じ研究で、粉塵や建設由来が15〜34%、バイオマス(薪や農業残渣など)の燃焼が15〜22%とされています。都市化に伴う建設ラッシュと、調理や暖房に薪・ごみ・牛糞などを燃やす家庭の習慣が、季節によって大きく効いてきます。日本の農村で見られる野焼きとは規模も背景も異なり、貧困や燃料の入手しやすさとも結びついています。
研究ごとに数字が違う理由
別の報道では、デリーの汚染に占める自動車は15.6%、工業は23.3%と紹介されています。数字が食い違うのは、調べた年も、季節も、測り方も違うからです。冬は暖房や野焼きの比重が高まり、夏は粉塵が増えます。さらに、AQLIが紹介する研究では、デリー市内の発生源が占めるのは全体の3割強にとどまり、残りは隣接するパンジャーブ州、ハリヤーナー州、ラージャスターン州、ウッタル・プラデーシュ州などから流れ込むとされています。つまり、デリー市だけが規制を強めても改善には限界があるということです。
秋から冬に悪化する理由|野焼き、ディワリ、気象
デリーの汚染は一年中一定ではなく、10月から1月ごろに急激に悪化します。理由は、排出が増える要因と、汚染物質がたまりやすい気象条件が同じ時期に重なるためです。
野焼きの影響は「思われていたほど大きくない」可能性
秋の悪化要因として真っ先に挙げられるのが、パンジャーブ州やハリヤーナー州での稲わら焼きです。稲の収穫後、次の作付けまでの期間が短く、残った稲わらを畑で焼き払う農家が多いためです。
ところが2025年に公表された、名古屋大学・長崎大学などの研究者が参加した研究は、少し違う姿を示しました。2022〜2024年の10月16日から11月30日の観測とシミュレーションで、野焼きがデリーのPM2.5に占める割合は、2022年の18%、2023年の16%から、2024年は9%へ下がったと報告されています。野焼きは地元の空気に大きく影響する一方、デリーへの寄与は従来言われたほどではなく、年ごとに変わる可能性があります。「野焼きさえなくなればデリーの空はきれいになる」という見方は、実態を単純化しすぎているようです。
ディワリの花火が重なる
10月下旬から11月上旬に行われるヒンドゥー教最大の祭り「ディワリ」では、花火や爆竹が大量に使われます。2025年のディワリ後、デリーでは10月21日朝の大気質指数(AQI)が350前後の「非常に悪い」水準になり、ドワルカやワジールプルなどの一部の地点で400を超えました。観測所の大半が最悪レベルを示す赤い区分に入っています。
最高裁判所は2025年、環境配慮型の「グリーン爆竹」に限り、時間を区切って使うことを認めていました。しかし実際には時間外に使われ、規制は十分に守られなかったと報じられています。環境団体からは「汚染が3割減っても、有害であることに変わりはない」という声も出ています。
冬の気象が汚染をとどめる
秋から冬は雨が少なく、気温が下がって風が弱まります。すると汚染物質は上空に拡散せず、地表近くにたまります。デリーのあるインド北部の平野は、排出源が集まる一方で空気が滞留しやすい地形です。排出が増える時期と、空気が動かなくなる時期が重なることが、この季節に急激な悪化が起こる大きな理由です。
誤解されやすい3つのポイント
ニュースだけを追っていると、つい単純な図式で理解してしまいがちです。ここでは、とくに誤解されやすい点を整理します。
「経済成長すれば必ず汚染も悪化する」わけではない
経済成長と汚染が連動する場面は確かにあります。しかし、排ガス基準や燃料の質、発電方法、都市計画のあり方によって、汚染の出方は大きく変わります。日本も高度経済成長期に深刻な公害を経験しましたが、規制と技術の改善で大きく改善しました。成長を止めるか、汚染を受け入れるかの二択ではなく、どのような成長を選ぶかが問われています。
「野焼きをする農家だけが悪い」わけではない
野焼きをする農家は、収穫から次の作付けまで時間が足りず、残渣を処理する機械も手に入りにくい事情を抱えています。一方で、デリーの汚染には自動車、粉塵、工場、家庭の燃焼も大きく関わっています。特定の人々だけを原因として責めても、問題の解決にはつながりません。
「花火を規制すれば解決する」わけでもない
ディワリの花火は短期的な悪化の一因です。しかし、花火の時期を過ぎても、デリーの冬の空気は大きく改善しません。祭りの時期だけに注目すると、一年を通じた構造的な排出源が見えなくなります。同時に、信仰や文化に深く結びついた行事であるため、禁止一辺倒では合意が得られにくいという難しさもあります。
インド政府と国際社会の対策
インド政府は、複数の方向から対策を進めています。排出を減らす「制度」、緊急時に動く「ルール」、電源を転換する「エネルギー政策」の3つに分けて見ていきます。
都市ごとの目標を置く全国清浄大気プログラム
2019年に始まった全国清浄大気プログラム(NCAP)は、大気汚染が深刻な都市ごとにPM濃度の削減目標を決め、国が資金面で支援する仕組みです。道路の粉塵対策、公共交通の強化、モニタリング網の拡充などが盛り込まれています。進み具合は都市によって差があり、目標に届かない都市も少なくないと指摘されています。
汚染がひどい日に発動するGRAP
デリー首都圏には、汚染の程度に応じて段階的に規制を強める「段階的対応行動計画(GRAP)」があります。大気質管理委員会(CAQM)が運用し、AQIが悪化すると、建設工事の停止、ディーゼル発電機の使用制限、学校の対応などが段階的に実施されます。近年は予測をもとに早めに発動する運用が取り入れられています。
排ガス基準とエネルギー転換
自動車については、2020年4月から排ガス基準「バーラト・ステージVI(BS-VI)」が全国で適用されました。ヨーロッパの基準で言えばユーロ6相当の厳しい基準に、段階を飛ばして移行したものです。なお、これはガソリン車やディーゼル車の販売を止める政策ではなく、排ガスの基準を引き上げる政策です。
エネルギー面では、インドは2030年に非化石電源の設備容量を500ギガワットにする目標を掲げています。インド政府の発表によると、2026年7月末時点で非化石電源の設備容量は300ギガワットを超え、目標の6割に達しました。内訳は太陽光が約164.6ギガワット、風力が約58.1ギガワットなどです。
日本との協力も始まっている
日本の環境省とインドの環境・森林・気候変動省は、2021年に第1回日本・インド環境政策対話を開催しました。気候変動とフロン対策、海洋ごみ、大気汚染、持続可能な交通・技術を協力分野として確認しています。大気汚染対策の技術協力や情報交換は、日本とインドの間で実際に進められてきた分野です。
対策が追いつかない理由と、残る課題
対策が積み重ねられているのに、なぜ冬のデリーの空は改善しにくいのでしょうか。主な理由は、次の3点に整理できます。
再生可能エネルギーが増えても、石炭火力は急には減らない
再エネの設備容量は急速に増えていますが、電力需要も増え続けています。発電量では石炭火力が依然として大きな比重を占めるとされ、再エネの拡大がそのまま汚染の急減につながるわけではありません。設備容量の数字と、実際に空気がどれだけきれいになるかは、別々に見る必要があります。
広域にまたがる問題を、州ごとに管理している
先に見たとおり、デリーの汚染の多くは隣接する州から届きます。ところが規制や予算は州ごとに分かれていて、調整が難しくなります。大気質管理委員会のような広域の枠組みはありますが、実効性を高めることが課題とされています。
規制が現場で守られにくい
グリーン爆竹の例のように、ルールを作っても現場で守られなければ効果は限られます。野焼きをやめるには、農家が代わりの処理方法(残渣をすき込む機械や、バイオ燃料の買い取りなど)を実際に使えることが必要です。取り締まりだけでなく、暮らしの選択肢を整えることが改善の条件になります。
日本に暮らす私たちにできること
インドは遠い国に思えますが、日本の暮らしとつながる部分もあります。ここでは、日本にいる私たちが今日から取り入れやすい行動を紹介します。
自分の街の空気を「見る」ことから始める
インドの状況を知ると、自分の住む地域の空気はどうなのか気になってきます。日本には大気汚染防止法に基づく環境基準があり、環境省が全国の測定局のデータをほぼリアルタイムで公開しています。春先などPM2.5が上がる日の傾向を一度確認しておくと、外出や換気の判断に役立ちます。
インドへ出張・旅行する場合の備え
10月から1月は、デリー周辺の汚染が最も悪化しやすい時期です。出張や旅行の予定があるなら、出発前に現地のAQIを確認し、ぜんそくなどの持病がある方は医師に相談してください。汚染がひどい日はN95規格などの微粒子用マスクを着用する、屋外での運動を控えるといった対策が有効です。
日本の経験を伝える側にもなれる
四日市ぜんそくなど、日本は公害を経験し、規制と技術で改善してきた国です。この経験は、日印の環境協力の中で生かされています。自分の暮らしに直接関係がなくても、国際ニュースや環境分野の取り組みを継続して追うことが、問題への関心を保つ第一歩になります。
また、石炭火力や野焼きは温室効果ガスも出すため、気候変動を通じて私たちの暮らしとも間接的につながっています。省エネや再エネ電力の選択など、日本でできる行動はインドの課題とも地続きです。
まとめ
インドの大気汚染が深刻化している理由は、経済成長に伴う自動車や工場、発電、建設粉塵、家庭の燃焼といった排出源が重なり、そこに秋の野焼きやディワリの花火、冬の気象条件が加わることにあります。2025年の報告では、インドは平均PM2.5濃度で世界6番目に汚染された国とされ、デリーの年平均濃度はWHO指針の20倍を超えています。
一方で、原因を単純化しすぎないことも大切です。野焼きのデリーへの寄与は年によって変わり、2024年は9%に下がったという報告があります。また、汚染の多くは周辺の州から届くため、デリー市だけの対策では限界があります。インド政府は全国清浄大気プログラム、段階的対応行動計画、BS-VI基準、再エネ拡大などを進めていますが、石炭火力への依存や広域調整の難しさ、現場での規制の実効性という課題が残っています。
まず1つだけ試すとすれば、環境省が公開している大気汚染の情報で、今日の自分の街のPM2.5を一度見てみてください。身近な空気に目を向けることが、遠い国の問題を自分ごととして考える入り口になります。
- インドは平均PM2.5濃度で世界6番目に汚染された国で、デリーの年平均濃度はWHO指針の20倍超である
- 発生源は自動車、工場、建設粉塵、家庭の燃焼などで、研究や季節によって内訳が異なる
- 野焼きのデリーへの寄与は2022年の18%から2024年は9%へ下がったと報告されている
- インドは非化石電源300ギガワットを超えたが、石炭依存や広域調整、現場での規制実効性が課題である
- 日本では自分の街のPM2.5を確認する、渡航時に備えるなど、身近な行動から始められる
参考文献
- シカゴ大学エネルギー政策研究所 大気質生命指数(AQLI)「Black Lungs and Broken Promises」(2025年)
- Royal Society of Chemistry 掲載論文「デリー首都圏のPM2.5と農業残渣焼却の寄与に関する研究」(2025年)
- The Wire「India is sixth most polluted country, Loni in Ghaziabad is world’s most polluted city」(2026年)
- Gulf News「Why Delhi air quality plunged after Diwali despite ‘green’ crackers」(2025年)
- 国際エネルギー機関(IEA)「Bharat Stage (BS) VI emission standards」
- All India Radio「India crosses 300 GW of non-fossil fuel based installed electricity generation capacity」(2026年)
- 環境省「第1回日本・インド環境政策対話の開催について」(2021年)

