世界資源研究所(WRI)は、1982年に米国ワシントンD.C.で設立された非営利の研究機関です。気候変動、森林、水、エネルギー、都市といった分野で、データと分析をもとに政府や企業へ提言しています。ニュースで「WRIの分析によると」と引用されるほか、企業の排出量算定の国際基準「GHGプロトコル」や、森林破壊を衛星で監視する「Global Forest Watch」の運営元でもあります。この記事では、WRIの概要を押さえたうえで、無料で使えるデータ基盤、2025年から2026年にかけて公表された最新の数字、日本企業との接点、数字を読むときの注意点まで順に見ていきます。
WRIはどんな組織か|政府でも企業でもない独立した研究機関
WRIの輪郭は、成り立ち、働き方、誤解されやすい点の3つに分けると整理しやすくなります。
1982年設立の非営利シンクタンク
WRIは1982年、ジェームズ・グスタフ・スペス氏らによってワシントンD.C.に設立されました。WRIの公式サイトによると、設立時にはマッカーサー財団から1,500万ドルの資金が提供されています。現在は2,000人を超える職員を抱え、50を超える国でパートナーと協働しているとされます。
拠点は、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、米国などの国別オフィスと、アフリカ・欧州の地域オフィスです。公開されている拠点の一覧に日本は含まれていません。日本の読者にとっては、WRIは「身近な団体」というより、データや国際基準を通じて間接的に接する存在だといえます。
「測る・変える・広げる」という3段構えの働き方
WRIは自らの手法を「Count It. Change It. Scale It.」と説明しています。まず衛星やモデルでデータを集めて現状を測り、次に現地で政策や事業を変える支援をします。そのうえで、うまくいった解決策を他の国や地域へ広げるという流れです。
重点分野は、食料・土地・水、エネルギー、都市、気候の安定化、自然の保護と再生です。以前は「エネルギー」「海洋と沿岸漁業」「制度とガバナンス」などの6分野で説明されることが多く、現在はより横断的な整理になっています。古い解説と最新の公式説明で分野の呼び方が違って見えるのは、この整理の変化によるものです。
国連機関でも政府機関でもない
よくある誤解が「国連の機関」「どこかの国の政府機関」というものです。WRIは独立した非営利団体で、資金は財団、政府、企業、個人などの寄付や助成で支えられています。政府や企業と協働する一方で、研究の結論は自らの分析に基づいて出す、という立場を取っています。
この立ち位置には長所と短所があります。長所は、特定の国の政策に縛られずに国際比較ができることです。短所は、各国政府の公式統計とは集計方法が違い、数字が一致しない場合があることです。数字を引用するときは、WRIが出した分析であることを明記し、政府統計とは別物として扱うのが安全です。
無料で使えるWRIの3つのデータ基盤
WRIの影響力が大きい理由の一つは、研究成果をデータプラットフォームとして公開していることです。専門家でなくても、ブラウザから地図やグラフを見られます。
Global Forest Watch|森林の変化を衛星で追う
Global Forest Watch(GFW)は、2014年に始まった森林監視のプラットフォームです。衛星画像をもとに、世界中の樹木被覆の変化を30メートル単位の細かさで確認できます。樹木被覆損失のデータはメリーランド大学と共同で作られ、毎年更新されます。
地図上で国や地域を選ぶだけで、その場所で何年にどれだけ樹木が失われたかを見られます。企業が調達先の森林リスクを調べる際にも使われており、「自分が買っている商品の原料は、どの地域で作られているのか」を考える入口になります。
Climate Watch|各国の排出量と気候目標を比べる
Climate Watchは、各国の温室効果ガス排出量や、パリ協定に基づく国別目標(NDC)、長期戦略、ネットゼロ目標を一か所で確認できるデータ基盤です。150年分の排出データを国・部門・ガスごとに見られるとされています。
日本の国別プロフィールを開けば、排出量の推移と国の目標を並べて確認できます。ニュースで「日本は目標を引き上げた」と聞いたとき、他国と比べてどの位置にあるのかを自分で確かめられます。
Aqueduct|世界の水リスクを地図で見る
Aqueductは、水不足や洪水などの水リスクを世界の流域ごとに示すツールです。2023年8月に公開された4.0版では、水の量・質・評判に関わる13の指標が整理され、2030年・2050年・2080年の将来予測も含まれています。
WRI自身が「Aqueductは主に優先順位付けのためのツール」と位置づけている点は大切です。工場や調達先のリスクを大づかいに洗い出すには向いていますが、個別の地点で最終判断をするには、地域の詳細調査で補う必要があるとされています。
2025年から2026年に公表された最新データの要点
WRIとその提携先は、年次で世界の動向を測っています。ここでは、直近で公表された3つのデータを紹介します。いずれも「状況がよくなった」「悪化した」と単純には言い切れない内容です。
森林損失は減ったが、10年前より高い水準
2026年4月29日に公表された2025年の樹木被覆損失データでは、熱帯の原生林の損失が約430万ヘクタールでした。2024年の約670万ヘクタールから約36%減っています。世界全体の樹木被覆損失は2025年が約2,550万ヘクタールで、2024年の約3,000万ヘクタールより減りました。
ただし、熱帯原生林の損失は10年前より46%高い水準にあります。また、2025年の樹木被覆損失の42%は火災によるものでした。GFWの解説では、火災を除いた原生林の損失は、別の監視システム(欧州委員会の共同研究センター)が示す森林減少の推計とほぼ同じ約270万ヘクタールだと説明されています。国別では、ブラジルの火災以外の原生林損失が前年比41%減った一方、インドネシアでは原生林の損失が17%増えたとされています。
各国の新しい気候目標はまだ足りない
WRIの分析によると、2025年11月9日時点で、EUと加盟27か国を含む108か国(世界の排出量の71%)が新しいNDCを提出しました。日本は2035年度までに2013年度比で60%削減する目標を示しています。
それでもWRIは、全体としての野心はまだ足りないと結論づけています。提出されたNDCが実現するのは、2035年までに1.5度の道筋へ近づけるために必要な追加削減の14%未満で、今世紀末の気温上昇は2.3〜2.5度になる見通しだとしています。
水ストレスは「一部の国の話」ではない
Aqueduct 4.0の分析では、25か国が年間を通じて極めて高い水ストレスに直面しており、世界人口の約4分の1にあたるとされています。さらに約40億人、つまり世界の半数の人が、年に少なくとも1か月は水ストレスを経験しています。2050年にはこの割合が約6割に増える見通しです。
世界のGDPの31%にあたる約70兆ドルが、2050年までに高い水ストレスにさらされるという推計もあります。その半分超を、インド、メキシコ、エジプト、トルコが占めると示されています。水の問題は途上国だけの話ではなく、半導体や食品など、世界中で原料や部品を調達する企業の事業にも関わります。
日本とのつながり|GHGプロトコルと企業の水リスク評価
日本にWRIの拠点はありませんが、日本企業の開示や環境対応にはWRIの成果が深く入り込んでいます。ここでは、特に影響が大きい2つの領域を取り上げます。
GHGプロトコルは、企業の排出量算定の「共通ものさし」
GHGプロトコルは、WRIとWBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)が共同で運営している、温室効果ガス排出量の算定・報告の国際基準です。1998年にWRIが「Safe Climate, Sound Business」を公表したことが出発点となり、2001年に最初のコーポレート基準が発行されました。環境省のサプライチェーン排出量の解説でも、この基準が基本となる枠組みとして紹介されています。
企業の排出を「自社の直接排出(スコープ1)」「購入した電気などの間接排出(スコープ2)」「サプライチェーン全体のその他の排出(スコープ3)」に分ける考え方は、この基準から広まりました。GHGプロトコルによれば、2023年にCDPへ回答した米国S&P500の開示企業の97%がこの基準を使っています。日本企業のサステナビリティ報告で「GHGプロトコルに準拠して算定」と書かれているのを見かけたら、その背景にWRIがいると考えて差し支えありません。
スコープ2の改訂が、再エネ調達のルールを変えるかもしれない
GHGプロトコルは現在、基準の改訂を進めています。スコープ2については、2025年10月20日から意見募集が始まり、期限は当初の12月19日から2026年1月31日まで延長されました。報道や解説では、電力を使った時間帯や地域と、再生可能エネルギーの調達を照らし合わせる要件が強まる可能性が指摘されています。
コーポレート基準とスコープ3基準の改訂草案は2026年の第2四半期から第3四半期に公開される予定で、主要な基準の最終版は2027年末ごろに公表される見込みとされます。再エネ証書で「実質ゼロ」と説明してきた企業にとっては、算定の前提が変わりうる動きです。ここは確定情報ではなく、改訂の議論の途中経過であることを押さえておく必要があります。
複数の日本企業が水リスク評価にAqueductを使っている
水の領域では、日本企業の公開情報にAqueductが登場します。三菱商事は、WRIの水ストレス分析ツールを使い、事業投資先が水ストレスの高い地域にあるかを調べていると説明しています。パナソニックは、2018年度までに世界の全254工場の水リスクを評価する計画だと報じられ、その際にWRIなどの評価ツールを使い、水不足や規制の可能性を点検するとされました。
どちらも、WRIのツールだけに頼らず、他の評価ツールや社内データと組み合わせている点が共通しています。これはAqueductの位置づけ(優先順位付けのためのツール)と一致します。自然関連の開示(TNFD)に取り組む企業が増えるなか、Aqueductで広く洗い出し、リスクが高い拠点だけを現地データで掘り下げるという二段構えが実務の標準になりつつあります。
WRIの数字を読むときに注意したい3つのポイント
データが無料で見られるぶん、引用のしかたによって誤解が生まれやすくなります。ここでは、特に間違えやすい3点を整理します。
森林「損失」と「減少」は同じ意味ではない
GFWの樹木被覆損失は、高さ5メートル以上の樹木が何らかの理由で失われた面積を示します。伐採、火災、自然災害、植林地の収穫などが含まれ、必ずしも「違法な森林破壊」や「恒久的な農地転用」を意味しません。
実際、2025年のデータでは損失の42%が火災由来でした。ニュースで「森林が〇〇万ヘクタール失われた」と見たときは、森林減少の統計(農地などへの転換)なのか、樹木被覆損失(火災や自然攪乱を含む)なのかを確認する必要があります。
「前年より減った」と「良い状態」は別
2025年の熱帯原生林の損失は前年から36%減りましたが、2024年が記録的に高かったことの反動でもあります。10年前より46%高い水準にあるという事実と合わせて読まないと、改善の度合いを過大に受け取ってしまいます。
NDCの分析も同じです。提出国が増えたこと自体は前進ですが、必要な削減量の14%未満という評価が示されています。「進んでいる」と「十分である」は別の問いとして扱うのが、データの誠実な読み方です。
ツールは入口であり、最終判断ではない
Aqueductのように、WRI自身が用途の限界を明記しているツールもあります。地図上で赤く表示された地域が、そのまま特定の工場の操業停止につながるわけではありません。
個人が発信したり、授業やレポートで引用したりする場合も、「WRIの〇〇というツールによると、〇〇年時点でこう推計されている」と、出典と時点を添えるのがおすすめです。数字は更新され、定義も改訂されるためです。
自分で試せる3ステップ
最後に、WRIのデータを自分の関心に結びつける手順を紹介します。ニュースや企業の発表を、受け身で読むだけの状態から一歩進められます。
ステップ1|自分の関心がある国や地域をGFWで見る
まずGlobal Forest Watchで、関心のある国を選んでみてください。たとえば、普段買っている食品や日用品の原料産地(パーム油、大豆、紙パルプなど)にあたる国を調べれば、その国の樹木被覆の変化が年ごとに分かります。
ステップ2|日本の気候目標をClimate Watchで確認する
次に、Climate Watchで日本のプロフィールを開き、排出量の推移と2035年度の目標を見ます。他の国の目標と並べると、「60%削減」という数字が国際的にどのような位置づけなのかを自分で比べられます。
ステップ3|企業の報告書で「GHGプロトコル」「Aqueduct」の記載を探す
気になる企業のサステナビリティ報告書を開き、「GHGプロトコル」「スコープ3」「水ストレス」などの語を検索してみてください。どの基準で算定し、どのツールでリスクを評価しているかが分かると、企業の開示の質を比べる手がかりになります。
まとめ
世界資源研究所(WRI)は、1982年に設立された独立した非営利の研究機関で、日本に拠点はありません。それでも、GHGプロトコルを通じて日本企業の排出量算定の土台を支え、Aqueductを通じて水リスク評価に使われ、Global Forest WatchやClimate Watchを通じて、私たちが森林や気候の動向を自分の目で確かめられる環境を作っています。
一方で、最新のデータは「減ったが十分ではない」という性格のものが多くあります。2025年の熱帯原生林の損失は前年比36%減でしたが10年前より高い水準で、新しいNDCが実現する追加削減は必要量の14%未満と評価されています。数字の出典、定義、時点を確認する習慣が、こうしたデータを使うときの土台になります。
まず1つだけ試すなら、気になる国を1つ選び、Global Forest Watchの地図を開いてみてください。数字が地図として見えると、ニュースの印象が変わります。
- WRIは独立した非営利の研究機関で、国連機関でも政府機関でもない
- Global Forest Watch・Climate Watch・Aqueductは無料で使え、森林・気候・水を自分で確認できる
- GHGプロトコルはWRIとWBCSDが運営する排出量算定の国際基準で、改訂が進行中
- 日本企業は水リスク評価などでWRIのツールを他の手法と組み合わせて使っている
- 数字は出典・定義・時点を確認し、「減った」と「十分」を分けて読む
参考文献
- World Resources Institute「About WRI」(2026年閲覧)
- GHG Protocol「About Us」(2026年閲覧)
- 環境省「グリーン・バリューチェーンプラットフォーム GHGプロトコルと基本ガイドライン」(2026年閲覧)
- Global Forest Watch「Global Forest Watch’s 2025 Tree Cover Loss Data Explained」(2026年)
- Argus Media「Forest loss fell in 2025 but from record high」(2026年)
- World Resources Institute「Are Countries’ New Climate Plans Ambitious Enough? What We Know So Far」(2025年)
- World Resources Institute「Aqueduct 4.0 Updated Decision-Relevant Global Water Risk Indicators」(2023年)
- みずほ銀行「GHGプロトコル スコープ2改訂最新動向」(2025年)
- 三菱商事「水資源 体制・システム」(2026年閲覧)
- ニュースイッチ「パナソニックの水リスク評価に関する記事」(2018年)

