「移動」が変わる10年が始まりました。国連は2026年から2035年までを、史上初の「持続可能な交通の10年」と定めています。誰もが安全に、環境への負荷を抑えながら、必要な場所へ移動できる社会を目指す国際的な枠組みです。
では、この枠組みは日本の暮らしにどうかかわるのでしょうか。バスの減便で通院の足が細った町や、免許を返納したくてもできない家庭にとって、何が変わるのか。この記事では、国連の枠組みを確認したうえで、日本の「交通空白」の現状、すでに動いている対策、そして読者が自分の地域で取れる行動までを整理します。
国連が「持続可能な交通の10年」を宣言した背景
国連が交通を10年単位の課題に位置づけたのは、移動が暮らしのほぼすべての場面に関わるからです。気候変動、交通事故、貧困、教育、健康、ジェンダー。どの課題も、人が安全に動けるかどうかと切り離せません。
2023年の決議から2025年12月の開始まで
2023年、国連総会は決議A/78/148「あらゆる交通手段間の連携強化によるSDGsの達成」を採択し、2026年からの10年を初の「持続可能な交通の10年」と宣言しました。この決議を受け、国連経済社会局が実施計画を作成しています。10年間の開始式典は、2025年12月10日に国連本部で行われました。
6つの重点分野と、交通が「実現手段」と呼ばれる理由
実施計画は、次の6つを重点分野に掲げています。
- すべての人が持続可能な交通を利用できるようにする
- 低炭素・ゼロカーボンで、強靭かつ環境に配慮した交通システムを進める
- 効率性と持続可能な接続性、物流を高める
- 人を中心にした都市モビリティと、暮らしやすい都市をつくる
- 交通を安全で安心なものにする
- 科学・技術・イノベーションを活用する
交通だけを扱うSDGsの目標はありません。しかし交通は、複数の目標に関わるターゲットを達成するための「実現手段」として扱われています。病院や学校、職場に行ける手段がなければ、貧困削減や教育、健康の目標は前に進みにくいためです。
日本の私たちに関係するのは「アクセス」と「安全」
6つのうち、日本の地方で特に切実なのは最初の「アクセス」です。都市部の渋滞や排出削減とは違い、そもそも乗る手段が足りない地域があります。次に身近なのは5つ目の「安全」で、生活道路や自転車のルールの見直しがここに重なります。以降の章では、この2点を中心に日本の現状を見ていきます。
日本の「移動の格差」はどこまで広がっているのか
国連の言う「アクセスの格差」は、日本では数字で確認できます。国土交通省は、公共交通が十分に届いていない地区を「交通空白」と呼び、全国の市町村への調査で実態を把握しています。
全国で2,057地区、人口約1,400万人
国土交通省の「交通空白」リストアップ調査(2025年4月30日時点)では、全国717市町村で2,057地区が交通空白と整理されました。該当地区の面積は約94,212km²で国土の26.7%、人口は約1,400万人で総人口の12.5%にあたるとされています。さらに、今後交通空白になるおそれがあるとして注視が必要な地区が、514市町村で1,632地区挙げられています。
国の分類で「空白」とされるのは、鉄道や路線バスが十分に使えない地区のことです。そこに暮らす人が全員、移動に困っているとは限りません。ただ、10人に1人以上が該当地区に住んでいるという規模は、一部の過疎地だけの話でないことを示しています。
人口減少と運転者不足が同時に進む
背景には、構造的な悪循環があります。デジタル庁の資料は、地域交通の課題として、人口減少による需要密度の低下で公共交通の採算が悪化していること、運転業務に就く人が不足していることを挙げています。利用者が減ると路線が維持しにくくなり、便が減るとさらに使いにくくなるという循環です。
運転者の確保も同時に難しくなっています。運行したくても担い手がいない、という供給側の制約が、需要の問題と重なっているのが現在の特徴です。
「免許返納」と移動の自由が両立しない現実
高齢者の事故を減らすために免許返納が呼びかけられていますが、返納後の移動手段が用意されていなければ、通院や買い物の機会そのものが失われかねません。返納できる環境を整えることと、返納を促すことは、本来セットで考える必要があります。
交通の問題は「不便」にとどまりません。通院を先延ばしにする、人と会う機会が減る、働ける場所が限られるといった形で、健康や所得、地域とのつながりに波及します。国連が交通をSDGs全体の実現手段と位置づける理由は、日本の地方の暮らしにそのまま当てはまります。
交通空白を埋める仕組み|日本版ライドシェアと公共ライドシェア
こうした状況に対し、国は2024年から制度の見直しを重ねてきました。国土交通省は、2025〜2027年度(令和7〜9年度)を「交通空白解消・集中対策期間」と位置づけ、個々の空白に解消の見通しをつけることを目指しています。
日本版ライドシェアと公共ライドシェアの違い
名前が似ているため混同されがちですが、2つは担い手が異なります。
日本版ライドシェアは、2024年3月に始まった仕組みです。タクシー事業者の管理のもと、一般のドライバーが自家用車で有償の送迎を担います。タクシーが不足する時間帯や地域を補うのが狙いです。
公共ライドシェアは、自治体やNPOなどが主体となり、自家用車で住民を送迎する仕組みで、制度自体は2006年(平成18年)からあります。近年は運用の見直しが進み、「時間帯による空白」を理由にした導入や、対価の目安の見直しが行われたと、国土交通白書2025に記されています。
実施地域の広がり
国土交通白書2025によると、2024年度末時点で、日本版ライドシェアは130地域、公共ライドシェアは645地域(788団体)で実施されています。雨天やイベント時の車両数の拡大、電話予約や現金払いへの対応といった改善も進んでいます。スマートフォンに不慣れな高齢者でも使えるようにする工夫です。
仕組みを導入しただけでは足りない
ただし、制度があることと、実際に必要な人が使えることは別です。利用者が少なければ運行は続けにくく、続けるには運転者の確保も欠かせません。国土交通省の調査でも、交通空白の解消には、各地域が「どの時間帯に誰がどこへ行きたいのか」を把握し、計画に落とし込む作業が前提になっています。
デジタル庁の「モビリティ・ロードマップ2025」が掲げる「需給一体となったモビリティサービスの再設計」も、同じ考え方です。バスやタクシーを個別に増やすのではなく、移動の需要と街づくり、複数の交通手段を一体で設計し直す方向が示されています。
自動運転バスは地域交通の答えになるか
運転者不足への対策として期待されているのが自動運転です。実際に、日本でもレベル4(特定条件下で運転者を必要としない自動運転)のバスが営業運行を始めています。
千葉県柏市・柏の葉の実例
千葉県柏市の柏の葉地区では、先進モビリティ株式会社が2025年8月に国土交通省関東運輸局からレベル4車両の認可を受けました。同年11月に特定自動運行の許可を取得し、2026年1月から東武バスセントラルが営業運行を始めています。柏市の発表によると、千葉県内初の事例です。
走行区間は「一号近隣公園」停留所から「三井ガーデンホテル柏の葉パークサイド前(税関研修所)」停留所までで、距離は約700m、最高速度は時速40kmです。車両はいすゞの中型バス(エルガミオ)が使われています。
「実証」から「事業」へ進めない壁
この事例が示すのは、可能性と同時に、規模の小ささです。2019年の実証実験から数年をかけて、ようやく700mの区間で営業運行に至りました。専用の設備や高精度の地図、遠隔監視の体制が必要で、車両も高額です。
高コストや技術的な制約から、実証実験の段階を越えて事業化に進めない例も多いと報告されています。自動運転は有力な選択肢のひとつですが、すべての地域の空白をすぐ埋める手段ではありません。
地域に合わせて組み合わせる発想
人口が比較的多く道路環境が整った地域では自動運転バス、過疎地では公共ライドシェアやオンデマンド交通、というように、地域の条件に応じて手段を組み合わせるのが現実的です。国土交通省も、デマンド交通やライドシェアを含む複数の手段で空白に対応する方針を示しています。新技術に期待しすぎず、足元の仕組みも並行して整える。これが、10年という時間をかけて取り組む前提になります。
誤解されやすい3つのポイント
持続可能な交通は、報道の切り取り方によって誤解されやすいテーマです。ここでは、議論が混線しやすい3点を整理します。
「地方の過疎地だけの問題」ではない
交通空白は、山間部や離島だけに限られません。デジタル庁が挙げる需要密度の低下や運転者不足は全国共通の構造で、都市の周辺部でも便数の減少は起こり得ます。国土交通省が「今後空白になるおそれがある」と注視する地区を、514市町村で1,632地区挙げているのは、問題が静かに広がりうることを示します。
「新しい技術や制度が入れば解決する」わけではない
ライドシェアも自動運転も、導入は手段であって目的ではありません。地域の人が使える料金、時間帯、予約方法になっているかが成否を分けます。制度が整っても使われなければ、運行は続きません。
「公共交通を使いましょう」は個人の努力だけでは成り立たない
環境のために公共交通を使うことは大切ですが、そもそも使える交通がない地域では、個人の選択の問題になりません。乗る人の努力と、運行を維持する仕組みづくり、その両方が必要です。個人の行動を促す言葉だけで終わらせず、地域全体の設計の話として捉えることが、国連の枠組みの趣旨にも沿います。
歩く・自転車に乗る人の安全も「持続可能な交通」の柱
国連の重点分野には「安全」と「人を中心にした都市モビリティ」があります。日本でも2026年に入り、歩行者や自転車を守るルールの見直しが実際に動き出しました。
2026年4月から自転車にも「青切符」
2026年4月1日から、16歳以上の自転車運転者に交通反則通告制度(青切符)が適用されています。一定の違反に対し、3,000円〜12,000円の反則金を納めると、刑事手続きに進まず処理される仕組みです。16歳未満は、従来どおり指導警告が基本とされています。警察庁は、ルールの徹底と事故の抑止を制度の趣旨としています。
2026年9月から生活道路の法定速度が30km/hに
2026年9月1日からは、道幅が狭く、中央線や車両通行帯のない生活道路で、自動車の法定速度が60km/hから30km/hに引き下げられました。標識で最高速度が指定されている道路は、その指定が優先されます。中央線のある道路や自動車専用道路などは、これまでどおり60km/hです。
安全に歩ける町は、使われる交通の土台になる
歩道が安心して歩けなければ、バス停まで行くこと自体がためらわれます。自転車や徒歩での近距離移動が安全であることは、公共交通を使える環境の前提でもあります。免許を返納した人が、無理なく外出できる町をつくるうえでも、この足元の安全は欠かせません。
自分の地域の交通を知り、支えるための行動
制度や技術の話は大きく見えますが、読者が今日から取れる行動もあります。ただし、無理のない範囲でできることを選んでください。
自分の自治体の「地域公共交通計画」を探す
多くの自治体は、地域公共交通計画を作成し、ウェブサイトで公開しています。自分の住む地域でバスやデマンド交通がどう位置づけられているかを知ると、足りない部分が見えてきます。計画の策定時には、住民向けの意見募集や説明会が開かれることもあります。
家族と「免許を返納したあとの移動」を先に話す
返納を迫られてから探すのではなく、元気なうちに、病院や買い物先までの行き方を一緒に調べておくと安心です。地域のコミュニティバスやデマンド交通、ライドシェアの有無は、市町村の窓口や公式サイトで確認できます。
近距離の移動で、すでにある公共交通や徒歩を選んでみる
乗る人がいなければ路線は残りにくくなります。月に数回でも、近距離の移動でバスや電車を選ぶことは、運行を支える小さな一歩です。その際は、自転車の新しいルールや、生活道路での歩行者への配慮も意識してみてください。
まとめ
国連の「持続可能な交通の10年」は、交通を単なる便利さの問題でなく、貧困や健康、教育、気候変動に関わる社会の土台として扱います。日本では、交通空白が全国717市町村の2,057地区に及び、人口の約1割以上が該当地区に暮らしています。人口減少と運転者不足が重なる構造のなかで、日本版ライドシェアや公共ライドシェア、自動運転バスなど、手段は増えつつあります。
一方で、どの手段も導入しただけでは解決になりません。地域の人が実際に使えるかどうか、運行を続ける担い手と費用をどう確保するかが、10年を通じた課題です。歩行者や自転車の安全を高めるルールの見直しも、移動の自由を支える土台の一部です。
まず1つだけ試すなら、自分の住む自治体の公共交通の情報を、公式サイトで一度のぞいてみてください。
- 国連は2026〜2035年を「持続可能な交通の10年」と定め、アクセスと安全を重点分野に掲げている
- 日本の交通空白は、2025年4月時点で全国717市町村の2,057地区、人口約1,400万人にのぼる
- 日本版ライドシェアは130地域、公共ライドシェアは645地域で実施されている(2024年度末時点)
- 自動運転バスは柏の葉で営業運行を始めたが、事業化の壁は残る
- 自転車の青切符と生活道路30km/hは、移動の安全を支える制度として動き出した
参考文献
- 国連経済社会局「UN Decade of Sustainable Transport 2026–2035」(2025年)
- 国連経済社会局「Implementation Plan for the Decade of Sustainable Transport (2026-2035)」(2025年)
- 国土交通省「令和7年『交通空白』リストアップ調査結果」(2025年)
- 国土交通省「今後の地域公共交通政策のあり方について、ご意見をいただきます」報道発表資料(2025年)
- 国土交通省「国土交通白書2025 日本版・公共ライドシェアの取組」(2025年)
- デジタル庁「モビリティ・ロードマップ」(2025年)
- 柏市「柏の葉地区で特定自動運行(自動運転レベル4)を開始」(2025年)
- 警察庁「自転車の新しい制度」(2026年)
- 福岡県「生活道路における法定速度の引き下げについて」(2026年)

