脱炭素への移行が加速するなか、「誰が、どんな仕事を、どんな条件で担うのか」という問いが、国際社会の気候政策の核心に浮上しています。国際労働機関(ILO)が2026年2月に公表した報告書は、「公正な移行(Just Transition)」という概念が世界の気候計画に急速に浸透しつつある実態を明らかにしました。一方で日本は、グリーン雇用の創出と既存産業で働く人々の移行支援という二つの課題に同時に向き合う局面を迎えています。
ILO報告書が映す「公正な移行」の世界潮流
ILOは2026年2月、「Mapping just transition in NDC 3.0: Global trends across 123 countries」と題する報告書を公表しました。
この報告書は、パリ協定に基づいて各国が提出する気候行動計画(NDC)の最新版を分析したものです。
分析によると、79%のNDCに公正な移行への言及が含まれており、以前の50%から大幅に増加しています。雇用関連の目標は約90%の計画に登場し、ディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)への言及は33%と倍増しました。
この傾向は、気候ガバナンスにおける大きな転換を示しています。各国は排出削減目標にとどまらず、脱炭素化がもたらす経済的・社会的影響に向き合い始めており、スキル開発、社会保護、企業支援の記載が大半のNDCに盛り込まれ、社会対話への言及も43%に上昇しました。
ILOは、クリーン経済への移行によって2030年までに世界で2,250万件の新規雇用が生まれる可能性があると試算しています。ただし、政策的な対策がなければ、その恩恵は均等に分配されないと警告しています。
「グリーン雇用」だけでは足りない理由
グリーン雇用とは、再生可能エネルギーや省エネルギー技術、環境保全などの分野で生まれる雇用のことを指します。ILOは、気候変動対策が公正な移行を伴うことで、数百万件のディーセントワークの創出、持続可能な企業の支援、職場の安全改善、社会的保護の拡充、労働権の保全といった社会的・経済的メリットが生まれると強調しています。
しかし、グリーン雇用の「量」を増やすだけでは問題の全体は解決しません。
エネルギー転換は新たな雇用を生む一方で、炭素集約型産業での雇用喪失をもたらす可能性もあります。ILOの試算では、脱炭素化政策によって多くのグリーン雇用が生まれる見通しの一方で、一定の雇用喪失が生じるとも指摘されています。これは、ディーセントな雇用機会を確保し、誰ひとり取り残さない公正・公平な移行の必要性を示しています。
特に注目されるのがジェンダーの問題です。
グリーン分野では技術系・STEM関連のスキルへの需要が高まっており、女性の参加が依然として限られているという構造的な課題があります。
脱炭素の恩恵がジェンダー格差を拡大しないよう、積極的な政策介入が求められています。
日本のGX政策と「公正な移行」の接点
日本では、GX(グリーントランスフォーメーション)推進戦略のなかで「公正な移行」の考え方が位置づけられています。
GXの全体像では「社会全体のGX推進」として、公正な移行が需要側からのGX推進や中堅・中小企業のGX推進と並んで掲げられています。
グリーン成長戦略では2030年で約870万人、2050年で約1,800万人の雇用効果が見込まれると試算されています。一方で、新たな製品やサービスの創出によって関係する産業に一定程度のマイナス影響が生じることも想定されており、例えばガソリンエンジンの変速ギアを製造していた中堅・中小サプライヤーが電動車用モーター部品の製造に新たに挑戦する取り組みを後押しする方針が示されています。
課題は政策の「言葉」を「現場」に届けることです。
グリーン経済への移行において、今後5〜10年が産業構造の転換にとって非常に重要な時期にあたるなか、ビジョンを共有した上で移行を進めなければ、労働移動を吸収する産業が育たず、「痛み」も大きくなるという指摘があります。
「移行」の痛みを抱える人たちへのまなざし
「公正な移行」という概念はもともと、労働者の権利と気候変動対策の必要性を調和させるために労働運動が生み出したものです。
その原点は、「脱炭素で仕事を失う人が出るなら、その人たちを守る責任がある」という思想にあります。
世界では先進事例も生まれています。カナダのアルバータ州では、脱石炭火力に伴う雇用の移行のための基金や職業訓練、教育機会の提供、企業に対する同地での電源立地や年金の保障義務付けが導入されているとされています。
ILO報告書は、政策文書における言及だけでなく、労働市場の措置による雇用創出・スキル開発・社会保護の拡充が伴わなければ意味がないと強調しています。社会対話は、政府・使用者・労働者が共有できる移行の道筋を描くための重要な仕組みとして位置づけられています。
日本でも、職業訓練の充実やリスキリング支援、炭素集約型産業で働く人々のセーフティネット整備が、政策実装の鍵を握ります。「グリーン雇用を増やす」という前向きな目標と「移行の過程で傷つく人を守る」という社会的責任を、切り離さずに考えることが求められています。
私たちにできること|職場と社会の両方から
グリーン雇用や公正な移行は、国家政策の話だけではありません。職場のレベルでも、リスキリングの機会を積極的に探すことや、脱炭素に関連する新しいスキルへの関心を高めることが、一人ひとりにとっての備えになります。また、消費者として、環境に配慮した商品・サービスを選ぶことも、グリーン雇用を支える需要を生み出す行動につながります。
気候変動対策は、自然環境だけでなく「働く人の未来」とも深くつながっています。「公正な移行」が社会全体のキーワードとして広まる今、自分ごととして考えるきっかけにしてみてください。
