「つながらない権利」「勤務間インターバルの義務化」「13日を超える連続勤務の禁止」。こうした言葉とともに語られてきたのが、労働基準法の「40年ぶりの大改正」です。厚生労働省の研究会が2025年1月に報告書を公表し注目を集めた一方、2026年の通常国会への法案提出は見送られる方向となりました。法案化の行方は流動的ですが、働きがいのある人間らしい仕事=ディーセントワークをめぐる議論そのものは止まっていません。この記事では、改正議論の中身と足踏みの背景、そして法律が変わる前から職場でできることまでを整理します。
「40年に1度の大改正」と呼ばれる理由
労働基準法は、労働時間や休日、賃金など働くうえでの最低基準を定めた法律です。2024年に厚生労働省が設置した「労働基準関係法制研究会」は、働き方改革関連法に基づく労働基準法等の見直しについて具体的な検討を重ね、2025年1月に報告書を公表しました。労働時間や休日制度だけでなく、労働者の範囲や労使コミュニケーションの在り方まで含む包括的な見直し案であったことから、「40年に1度の大改正」として広く報じられました。
なぜ今、抜本見直しが必要とされているのか
背景にあるのは、多くの業種で続く人手不足です。限られた人員に仕事と残業が集中しやすくなり、過労死やメンタル不調、若手の早期離職といった問題も表面化してきました。加えて、副業の広がりやフリーランス人口の増加、テレワークの普及など、正社員が同じ場所で同じ時間働くことを前提としない働き方が増えています。現行の労働基準法は昭和期の働き方を土台に作られた部分が多く、こうした新しい働き方を法的にどう保護し管理するかという課題が積み残されてきました。
検討の舞台となった「労働基準関係法制研究会」
労働基準関係法制研究会は、労働法や労働経済の専門家に加え、労使双方の代表も交えて議論を重ねてきた点が特徴です。検討されたのは長時間労働の是正だけでなく、管理監督者の範囲の見直しや、個人事業主的に働く人への保護のあり方など、労働基準法が想定してこなかった働き方への対応も含まれていました。施行時期は当初、2026年度または2027年度以降の段階的実施が見込まれていましたが、正式な時期は本記事執筆時点でも確定していません。
2026年通常国会への提出見送りで何が変わったのか
ここで押さえておきたいのが、2025年12月に浮上した動きです。厚生労働省が2026年通常国会への提出を念頭に準備を進めてきた労働基準法改正案について、提出を見送る方針を固めたと複数のメディアが報じました。労使間の意見調整が難航し、「現状では、とりまとめは困難」と判断されたとされています。
見送られたとされる主な項目
報道によれば、見送りの対象に挙がったのは次のような項目です。13日を超える連続勤務の禁止、勤務間インターバル制度(11時間)の義務化、そして勤務時間外の連絡を制限する「つながらない権利」のガイドライン策定です。いずれも現場の働き方に直結する内容だっただけに、見送りは経営側・労働側双方に驚きをもって受け止められました。
法案提出見送りは「終わり」ではない
ただし、法案提出の見送りはあくまで時期をめぐる判断であり、制度転換に向けた議論そのものが打ち切られたわけではありません。連続勤務の上限、法定休日の指定義務、副業時の労働時間通算の見直し、勤務間インターバルの義務化、週44時間特例の廃止、有給休暇取得時の賃金の扱い、「つながらない権利」の明確化など、人事・労務の根幹に関わる論点は引き続き検討課題として残されています。企業の人事担当者にとっては、「いつ法律が変わるか」よりも「どの論点がどの方向に動いているか」を注視する姿勢が引き続き求められる状況です。
改正案の中身を実務目線で整理する
ニュースの見出しだけを追うと論点が混ざりがちなので、ここで改正議論の柱を整理しておきます。
連続勤務の上限と勤務間インターバル義務化が変える現場
検討の中心にあるのは、過重労働防止を目的とした連続勤務の上限規制と勤務間インターバル制度の義務化です。現行法で認められている「4週4日」の変形週休制の特例について、「2週2日」を基本とする運用への変更や、13日を超える連続勤務の禁止が議論されてきました。これはシフト勤務や変形労働時間制を採用する製造業・小売業・医療・介護などの業種に特に大きな影響を与えるとみられています。人員配置を担う現場リーダーにとっては、シフト表の組み方そのものを見直す契機になり得る論点です。
「つながらない権利」は日本でどう根付くか
デジタル時代の新たな労働者の権利として注目されてきたのが「つながらない権利」です。勤務時間外や休日に仕事上の連絡が来ても応答しない権利を指し、フランスが2016年の労働法改正で世界に先駆けて法制化し、2017年に施行したことで知られています。その後EU各国やカナダなどにも広がった概念です。日本ではまだ法制化されていませんが、厚生労働省はこの権利を「つながらない権利」と名付け、勤務時間外の連絡を制限するガイドライン策定を検討事項として議論してきました。法律で縛るフランス型と、ガイドラインで行動変容を促す日本型では、実効性の持たせ方が異なる点は誤解されやすいところです。罰則付きの義務化ではなく、職場の慣行そのものを変えることに主眼が置かれている点を理解しておく必要があります。
フレックスとコアデイの柔軟化が意味すること
テレワークと出社日が混在するハイブリッドな働き方に対応するため、フレックス制と通常勤務を組み合わせやすくする見直しも検討されてきました。改正後は「コアデイ」を設定して一部曜日だけ通常勤務にするなど、テレワーク日はフレックス、出社日は定時勤務といった柔軟な運用が制度上も対応しやすくなる方向が見込まれています。これは働き方の選択肢を増やす一方、労働時間管理が複雑になることも意味しており、人事部門には新しい運用ルールの設計力が求められます。
並行して進む関連法改正とのつながり
労働基準法そのものの大改正議論が足踏みする一方で、働く人の処遇に関わる関連法改正はすでに動き出しています。
改正育児・介護休業法の段階的施行
改正育児・介護休業法では、3歳以上小学校就学前の子どもを養育する労働者に対する柔軟な働き方の措置義務化が2025年10月から始まっています。子の看護休暇・介護休暇を時間単位で取得できるようにする見直しも含まれており、育児と仕事の両立を支える制度基盤が少しずつ広がっています。
障害者雇用・雇用保険制度の見直し
同時期には、障害者雇用促進法の改正による障害者法定雇用の除外率の引き下げや、雇用保険制度改正による「出産後休業支援給付金」「育児時短就業給付」の創設なども進められています。これらは労働基準法そのものの改正ではありませんが、ディーセントワークを支える制度群として見ると、連動して理解する意味があります。働き方に関する制度は一つの法律だけで完結しておらず、複数の法改正が重なり合って職場の実務を形作っていく点は、人事担当者だけでなく働く人自身も知っておきたいポイントです。
ディーセントワークとSDGsの視点から読み解く
一連の改正議論を国際的な枠組みで捉え直すと、見えてくるものがあります。ディーセント・ワークとは、自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、すべての人のための生産的な仕事を指す概念です。ILO(国際労働機関)が1999年の第87回ILO総会で初めて提唱し、以来、すべての人にディーセント・ワークを実現するための活動を続けています。SDGsでは「目標8|働きがいも経済成長も」としてこの理念が組み込まれており、日本の労働基準法見直しの議論もこの文脈と地続きにあります。
日本では少子高齢化が進んでおり、生産年齢人口は将来的にさらに減少していくと推計されています。限られた働き手一人ひとりが長く安心して力を発揮できる環境を整えることは、企業にとっても経済全体にとっても避けて通れない課題です。日本政府は2022年に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定しており、企業に対して取引先も含めた人権問題への責任を果たすよう促しています。労働基準法の見直しは、こうした人権尊重の流れの国内版ともいえる位置づけで議論されてきました。
このように捉え直すと、「40年ぶりの大改正」という言葉は単なる法技術の更新ではなく、国際社会が共有してきたディーセントワークの理念を日本の職場にどう落とし込むかという問いでもあることが見えてきます。法律の条文が変わるかどうかとは別に、この理念をどれだけ自分ごととして受け止められるかが、今後の職場づくりを左右していくと考えられます。
企業はどう備えているか|人手不足時代の経営判断
法案提出が見送られたからといって、企業側の対応を止めてよい理由にはなりません。製造業や小売業、医療・介護の現場ではすでに、シフト作成システムを見直して連続勤務日数を自主的に管理したり、勤務間インターバルを就業規則に先行して盛り込んだりする動きが広がっています。これは法令遵守のためだけでなく、従業員の健康確保や採用力の強化につながる取り組みとして位置づけられています。人手不足が続くなかで、働きやすさそのものが採用競争力に直結する時代になっているためです。
一方で、「つながらない権利」のように法制化が見送られた論点については、就業規則やガイドラインという形で先取りする企業と、様子見を続ける企業との間で差が広がる可能性があります。制度が整うのを待つのではなく、自社の実態に合わせて先行して運用ルールを決めておくことが、結果的にリスク管理にもつながります。
業種によって対応のしやすさには差があります。シフト制が中心の小売・医療・介護では人員配置の見直しに時間がかかる一方、オフィスワーク中心の業種では就業規則の文言変更だけで先行対応できる場合もあります。自社がどちらに近いかを踏まえたうえで、優先順位をつけて取り組むことが現実的な進め方といえるでしょう。
私たちの職場でいま確認できること
制度の行方が流動的だからこそ、私たち一人ひとりが職場で確認できることもあります。「自分の職場は勤務間インターバルが確保されているか」「時間外に届くメッセージに返信することが暗黙のルールになっていないか」「連続勤務が13日を超えるシフトが組まれていないか」。こうした問いを自分の働き方に当てはめて考えてみることが、ディーセントワークの実現に向けた最初の一歩になります。
- 自分の勤務間インターバルが実質的に何時間確保されているか記録してみる
- 休日や終業後のメッセージ対応について、職場でルール化されているか確認する
- 連続勤務日数がシフト表のうえで把握できているか見直す
職場のディーセントワークについてもう少し広い視点で知りたい方は、SDGs目標8「働きがいも経済成長も」の考え方を扱った記事もあわせて参考にしてみてください。

企業がどのように働き方改革を進めているのか、複数社の取り組みを比較しながら知りたい場合は、こちらの記事も参考になります。

テレワークとフレックス制を組み合わせた柔軟な働き方の工夫については、こちらの記事でも具体的な進め方を紹介しています。

まとめ
労働基準法の「40年ぶりの大改正」は、長時間労働の是正から「つながらない権利」まで、働き方の土台そのものを問い直す議論でした。2026年通常国会への法案提出は見送られる方向となりましたが、それは論点が消えたことを意味するわけではなく、労使間の調整が続いていることの表れです。連続勤務の上限や勤務間インターバルの義務化、フレックス制の柔軟化といった論点は、今後も形を変えながら検討が続いていくと考えられます。
同時に、育児・介護休業法や障害者雇用促進法、雇用保険制度など、関連する法改正はすでに段階的に動き出しています。労働基準法そのものの大改正を待つ間にも、働く人を取り巻く制度は少しずつ更新されているのです。ディーセントワークの実現は、法律が変わった瞬間に達成されるものではなく、職場の日々の運用の積み重ねによって少しずつ形になっていきます。
まずは自分の職場の勤務間インターバルや、時間外連絡の暗黙ルールを一度点検してみることから始めてみてください。
- 労働基準法の大改正議論は2025年1月の研究会報告書から本格化したが、2026年通常国会への法案提出は見送られる方向となった
- 連続勤務の上限規制、勤務間インターバル義務化、「つながらない権利」のガイドライン策定などが主な検討項目に含まれる
- 育児・介護休業法や障害者雇用促進法など、関連する法改正はすでに段階的に施行が始まっている
- ディーセントワークの実現はSDGs目標8とも関連しており、企業にも人権尊重の取り組みが求められている
- 法改正を待たずに、勤務間インターバルや時間外連絡のルールを自分の職場で点検することができる
参考文献
- 厚生労働省「『働き方改革』の実現に向けて」(2025年)
- ILO駐日事務所「ディーセント・ワーク(Decent Work)」(2025年)
- 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(令和5年推計)」(2023年)

