2026年3月、日本は東京で、プラスチック汚染条約をめぐる非公式協議の開催国を務めました。韓国・釜山とスイス・ジュネーブで交渉が相次いで合意に届かなかったあと、国際社会は条約交渉の「再起動」を探っています。ここでいう条約とは、プラスチックの生産から廃棄までを対象にした、法的拘束力のある国際文書のことです。この記事では、プラスチック汚染をめぐる国際交渉がどこまで進み、何が壁になっているのか、そして日本の役割をどう捉えればよいのかを見ていきます。
毎年1,100万トン|プラスチック汚染が「条約」を必要とした理由
国連環境計画(UNEP)が2023年に公表した報告書は、2021年に世界で年間約1,100万トンのプラスチックごみが水環境に流れ込んだと推計しています。何も対策を取らなければ、この量は2040年までに年間2,300万〜3,700万トンに増える可能性があるとも示されています。プラスチックごみは一度海に出ると回収が難しく、波や紫外線で細かく砕けながら長く残り続けます。
細かく砕けたマイクロプラスチックは、海だけでなく大気や土壌、飲料水からも見つかっています。人の体内から検出されたという研究報告もあります。長期的な健康影響は完全には解明されていませんが、内分泌系への影響や慢性的な炎症の可能性が懸念されています。
マイクロプラスチックの発生源や家庭でできる対策を先に知りたい方は、次の記事もあわせてご覧ください。
プラスチックごみは国境を越えて漂流するため、一国だけの努力では止められません。ごみを集めて処理する仕組みを整えるだけでは、作られる量そのものが増え続ける限り追いつけない、という認識も広がりました。こうした背景から、2022年3月の第5回国連環境総会再開セッション(UNEA-5.2)で、「プラスチック汚染を終わらせる」ための法的拘束力のある国際約束を目指す決議が採択されました。廃棄の段階だけでなく、製品の設計や生産の段階まで視野に入れたのが、この条約構想の特徴です。
釜山からジュネーブ、そして再起動へ|交渉の経緯を時系列で見る
2022年から2024年|決議から釜山まで
決議のあと、政府間交渉委員会(INC)はウルグアイ、パリ、ナイロビ、オタワと開催地を変えながら会合を重ねました。当初は2024年末までの条約案のとりまとめが目標とされていました。
その最終回となる第5回会合(INC-5.1)は、2024年11月25日から12月1日まで釜山で開かれました。しかし条約の内容をまとめる目的は達成できませんでした。一部の石油・ガス生産国がプラスチックの生産への規制に強く抵抗し、対立が解けなかったためです。
2025年8月|ジュネーブで再び合意に至らず
仕切り直しとして、2025年8月にジュネーブでINC-5.2が開かれました。ところがここでも最終的な合意には至りませんでした。交渉の継続は確認されたものの、次回会合の日程が決まらないまま閉会しています。
UNEPのインガー・アンデルセン事務局長は閉会にあたり、プラスチック汚染が止まらない以上、この作業も止まらないという趣旨の発言をしました。合意できなかった失望と、交渉をやめない意思表示が同時に示された場面でした。
2026年2月|INC-5.3と新議長の選出
手続き面での立て直しとして、2026年2月7日にジュネーブでINC-5.3が開かれました。この会合で、チリ外務省の環境・気候変動・海洋局長であるフリオ・コルダノ氏が新しい議長に選ばれました。
新議長は、交渉を「数カ月単位」で進めたいという意欲を示したと報じられています。実質的な交渉に入る前の、いわば土台を作り直す段階に入ったと言えます。新議長の就任直後の動きは、次の記事で詳しく伝えています。
何が対立しているのか|「生産規制」派と「廃棄物管理」派の構図
2つの陣営の主張
対立の中心は、プラスチックの「生産量」に条約が踏み込むかどうかです。EUや島しょ国は、ごみの管理だけでは限界があるとして、生産段階への規制を条約に入れるよう強く求めてきました。一方、サウジアラビア、米国、中国などは、経済への影響を理由に反発してきました。これらの国は、廃棄物管理やリサイクルの強化を中心に据えるべきだという立場に近いとされています。
この対立は「環境に熱心な国」と「そうでない国」という単純な図式ではありません。石油や石化製品が基幹産業である国にとって、生産規制は自国の雇用や税収に直結する問題だからです。立場の違いは、産業構造と経済的な利害の違いから生まれています。
「ライフサイクル全体」が交渉を重くする
INCに与えられた任務は、生産から廃棄までプラスチックのライフサイクル全体を扱う文書を作ることです。研究者からは、この広い任務が議論を断片化させ、進行を遅らせているという指摘が出ています。
生産規制、有害化学物質、健康影響をどこまで条約に入れるかについて、各国の解釈が分かれています。条約の実効性を高めようとして対象を広げるほど、利害の対立も広がるというジレンマです。新議長がこの構造にどう向き合うかが、再起動の焦点になります。
よくある誤解を2つほどほぐす
1つ目は「リサイクルを進めれば問題は解決する」という見方です。リサイクルは重要ですが、作られる量が増え続けるなら回収と処理が追いつきません。生産規制を求める国々が問題にしているのはこの点です。
2つ目は「条約ができれば使い捨てプラスチックが全面禁止になる」という見方です。現時点で条文は固まっておらず、特定の製品を一律に禁止すると決まったわけではありません。何を対象にどんな措置を取るかは、これからの交渉で決まります。
2026年3月の東京会合|日本が担った役割
新議長の選出からおよそ1か月後の2026年3月1日から3日、日本は東京で、関係国の実務者による非公式の少数国会合を主催しました。環境省によれば、国際条約交渉の早期妥結に向けて日本が積極的に貢献する観点から開いた会合です。議長は外務省の中村亮・地球規模課題審議官が務め、外務省、経済産業省、環境省の交渉関係者が参加しました。
この協議について、交渉に関わった関係者はAFPに対し「建設的だった」と評価し、5月にも次の会合が予定されていると明かしたと報じられています。公式な発表はない非公式協議でしたが、各国が交渉を前に進める意思を示した点に意味があります。
会合の詳細は、次の記事でも取り上げています。
非公式の場には、公式会合にはない役割があります。公式会合では各国が立場を公に述べるため、譲歩が難しくなりがちです。実務者が非公開で論点を絞り込む場は、公式会合での決裂を避けるための下準備として使われます。日本が開催国になったのは、生産規制を求める陣営と慎重な陣営の間で、橋渡し役を探ってきた立場と重なります。
なお、本稿は2026年3月の東京会合までに公表された情報を軸にしています。それ以降の会合日程や結果は、UNEPのINC公式ページなどで最新の情報を確認してください。
日本の制度と実践|大阪ブルー・オーシャン・ビジョンからプラ新法、自治体まで
国際的な旗印としての大阪ブルー・オーシャン・ビジョン
日本は、2019年のG20大阪サミットで共有された「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」の提唱国です。このビジョンは、2050年までに海洋プラスチックごみによる追加的な汚染をゼロにすることを目指しています。多くの国と地域が支持しています。日本が条約交渉の場で発言力を持つ根拠の一つが、この枠組みです。
国内の仕組みは「減らす」から「循環させる」まで
国内では、2019年に策定されたプラスチック資源循環戦略が土台になっています。この戦略は、ワンウェイのプラスチックを2030年までに累積で25%排出抑制すること、2035年までに使用済みプラスチックを100%有効利用することを目標に掲げました。
2020年7月にはレジ袋の有料化が全国で始まりました。2022年4月には、プラスチック資源循環法(プラ新法)が施行されています。この法律は、フォークやスプーン、ストロー、ヘアブラシ、歯ブラシ、ハンガーなど12品目を「特定プラスチック使用製品」として、提供事業者に使用の合理化を求めています。製造から廃棄までの各段階で、事業者と自治体、消費者の役割を整理した点が特徴です。
自治体と企業の動きが「条約の先取り」になる
条約の議論とは別に、国内では地域ごとの実践が積み重なっています。神奈川県の「かながわプラごみゼロ宣言」や、レジ袋の提供を条例で禁じた京都府亀岡市の例は、よく知られた先行事例です。小売やカフェ、外食の現場でも、ストローやカトラリーの素材転換、詰め替え品の拡充が進んでいます。
ただし、素材を紙やバイオマスプラスチックに替えるだけで、環境負荷が下がるとは限りません。削減量が示されているか、使い捨ての総量が減っているかを見る必要があります。この点は、後半の選び方の基準でも触れます。
条約が成立したら暮らしは変わるのか|読者が抱く次の疑問に答える
条約と日常の間には「国内法」がある
条約が採択されても、そのまま私たちの買い物が変わるわけではありません。各国は批准したあと、国内法や制度に落とし込む必要があります。日本の場合も、条約の内容に応じてプラ新法などの見直しが検討されることになるでしょう。条約の成立は、生活が変わるまでの長い道のりの出発点です。
規制の中身しだいで影響の出方が変わる
仮に生産や製品設計に関する共通ルールが入れば、企業は容器や包装の設計を見直す必要が出ます。その影響は、素材の変更、詰め替えやリユースの拡大、使い捨て製品の削減といった形で店頭に現れる可能性があります。廃棄物管理の強化が中心になれば、回収や処理の仕組みへの投資が中心になるでしょう。どちらに寄るかで、暮らしへの影響の出方も違ってきます。
条約の外でも、需要側の変化は止まらない
条約交渉は政府間の話ですが、選ぶ側の行動も無関係ではありません。使い捨てを減らす商品や店が選ばれれば、企業は事業の方向を変えやすくなります。需要側の変化が、交渉の背景にある産業界の姿勢に影響を与える余地もあります。交渉を待たずに動ける領域が、私たち消費者の側にはあります。
今日からできること|条約の行方に左右されない選び方の基準
まず「減らす」を優先する
リサイクルのマークがあるかより先に、そもそも使い捨てが必要かを考えます。マイボトルやエコバッグ、詰め替え品の利用は、すでに多くの人が実践している具体的な方法です。完璧を目指さず、続けられる範囲で選ぶことが大切です。
自治体の分別ルールを確認する
プラスチックの分別や回収の方法は、自治体ごとに異なります。住んでいる地域のルールを確認しておくと、せっかく分別したものが焼却に回ってしまう事態を減らせます。自治体の公式サイトや配布資料に、品目ごとの出し方が載っています。
企業の発信は「何をどれだけ減らしたか」で見る
「環境にやさしい」という表現だけでは、実際の効果は分かりません。使い捨てを何トン減らしたのか、どの年を基準にした削減なのかが示されているかを確認します。数値や出典が示されていない主張は、判断を保留して構いません。
まとめ
プラスチック汚染条約の交渉は、2024年の釜山、2025年のジュネーブと続けて合意に至らず、2026年2月の新議長選出と3月の東京での非公式協議を経て、再起動の段階に入りました。最大の壁は、生産そのものに規制をかけるかどうかをめぐる、各国の産業構造に根ざした対立です。
日本は、大阪ブルー・オーシャン・ビジョンの提唱国として、また東京会合の開催国として、橋渡し役を担おうとしています。国内ではプラ新法や自治体の取り組みが積み上がっており、これらが条約の議論を支える実績にもなります。
条約の成否は政府間交渉に委ねられていますが、暮らしの中での選択も無関係ではありません。まず、使い捨てのプラスチックを1つだけ見直すことから始めてみてください。
- プラスチック汚染条約は、釜山とジュネーブで合意に至らず、新議長のもとで再起動を探っている
- 対立の中心は、生産規制を求める陣営と、廃棄物管理を重視する陣営の違いにある
- 日本は東京での非公式協議の開催や大阪ブルー・オーシャン・ビジョンを通じ、橋渡し役を担おうとしている
- 条約が成立しても、暮らしが変わるまでには国内法への落とし込みが必要になる
- 減らすことを優先し、自治体のルールを確かめ、企業の発信は数値で見ることが判断の軸になる
参考文献
- UNEP「Intergovernmental Negotiating Committee on Plastic Pollution」(UNEP)
- UNEP「Turning off the Tap」(2023年)
- 環境省「プラスチック資源循環ポータルサイト」(環境省)




