富栄養化とは、海・湖・川などの水域に窒素やリンといった栄養塩が増えすぎ、植物プランクトンの異常な増殖から水中の酸素不足へとつながっていく現象です。「栄養が豊か」という字面とは裏腹に、水中の生きものにとっては息ができない環境をつくります。SDGs目標14「海の豊かさを守ろう」のターゲット14.1が、陸上の活動による汚染の例として富栄養化を挙げているのも、このためです。
ただし、日本の現状は「栄養塩を減らせば解決」という単純な話ではありません。瀬戸内海では過去の対策が効いた一方で、いまは栄養が足りないことによる別の問題が起き、2021年に法律が改正されました。この記事ではしくみの確認を短くとどめ、日本の三つの水域の経験、栄養塩を「減らす」から「管理する」へという変化、家庭の排水とのつながりを順に見ていきます。
富栄養化が起きるしくみとSDGs目標14のなかの位置づけ
富栄養化は、水域の栄養塩が少ない貧栄養状態から、多い富栄養状態へ移っていく変化を指します。窒素やリンは植物プランクトンにとって肥料にあたる成分で、もともとは生態系を支える大切な存在です。問題になるのは、生活排水、工場排水、農地や畜産からの流出などによって、水域が受け止められる量を超えて流れ込んだときです。
栄養が増えすぎると、なぜ酸欠になるのか
栄養塩が過剰になると、植物プランクトンが爆発的に増えます。海ではこれが赤潮、湖ではアオコとして目に見える形になります。増えたプランクトンは水面近くで光をさえぎり、寿命を迎えると水底へ沈みます。沈んだ死骸を微生物が分解するとき、水中の酸素が大量に使われます。
水面の色が変わる光景は分かりやすい被害ですが、より深刻なのは見えにくい水底の酸欠です。底層の酸素が極端に少なくなった水のかたまりは貧酸素水塊と呼ばれ、泳いで逃げられない貝類や底にすむ生きものが死んでしまいます。東京湾では、夏季を中心に底層の溶存酸素が著しく低下する貧酸素水塊が形成されることが、神奈川県の調査で確認されています。
SDGsターゲット14.1が「2025年」を期限にしている意味
SDGs目標14のターゲット14.1は、2025年までに、陸上の活動による汚染を含むあらゆる種類の海洋汚染を防止し、大幅に削減することを掲げています。富栄養化はその中で名指しされている課題の一つです。
この記事を書いている2026年10月は、すでにその期限を過ぎた時点です。次の章で見るように、世界の各地でデッドゾーンは続いており、「期限までに達成した」と言える状況ではありません。期限後も取り組みを続けるための材料として、日本の経験を知っておく意味があります。
世界の現状|増えたデッドゾーンとメキシコ湾の目標
富栄養化が進んだ沿岸でほとんどの生きものが暮らせなくなった海域は、デッドゾーンと呼ばれます。世界規模の集計として広く引用されているのが、2008年に科学誌『Science』に発表された研究です。報道によると、この研究は世界の沿岸で405か所のデッドゾーンを確認し、1995年から2007年のあいだに約3分の1増えたと報告しています。確認数は1960年代の49か所から、1970年代に87か所、1980年代に162か所と、10年ごとに増えてきました。
デッドゾーンの数は、集計の時期や定義によって資料ごとに幅があります。約500か所と紹介する資料もありますが、上の数字は2008年時点の報道ベースのものです。個別の数字を暗記するより、「増え続けてきた」という方向を押さえておくほうが実用的です。
比較的新しいデータが公表されているのが、ミシシッピ川の河口に広がるメキシコ湾のデッドゾーンです。米国海洋大気庁(NOAA)によると、2025年の調査では約4,402平方マイル(およそ1万1千平方キロメートル)で、39年間の観測で15番目に小さい規模でした。一方、2024年は6,705平方マイルで、観測史上12番目の大きさでした。
流域全体の目標は、5年平均の面積を2035年までに1,900平方マイル未満にすることです。2025年時点の5年平均は4,755平方マイルで、目標の2倍を超えています。毎年の面積は河川からの流入量などで上下するため、1年の増減だけで対策の成否は判断できません。長い期間の平均で見ていく必要がある課題です。
日本の経験|瀬戸内海・琵琶湖・東京湾でとられた3つの対応
日本は、富栄養化に長く向き合ってきた国です。水域の性質も、動いた主体も、使った手段もそれぞれ異なるため、三つの水域を並べると対策の選択肢が見えてきます。
瀬戸内海|法律による総量規制
瀬戸内海では、高度経済成長期に赤潮が増えました。環境省の資料によると、赤潮の発生件数は1976年(昭和51年)の299件まで年々増え、その後は減少に転じています。1973年に瀬戸内海環境保全臨時措置法が公布され、のちに窒素とりんも総量削減の対象に加わりました。
現在は例年100件前後の赤潮が確認されており、令和3年(2021年)は70件でした。ピーク時と比べると大きく減りましたが、ゼロになったわけではありません。国が基準をつくり、事業者の排水を面でコントロールする方法が一定の成果を上げた例といえます。
琵琶湖|住民運動が条例を動かした
琵琶湖では、1977年5月に淡水赤潮が大量発生しました。原因の一つは合成洗剤に含まれるリンだとされ、県民のあいだで、リンを含む洗剤をやめて粉石けんを使う「石けん運動」が広がりました。
この運動を受けて、1979年に滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例が制定されました。県内でのリンを含む家庭用合成洗剤の販売・使用・贈答が禁止され、条例は現在も有効です。一方で、リンを含まない合成洗剤は規制の対象外です。暮らしの選択が行政を動かし、家庭の買い物が水域に直結することを示した例です。
東京湾|都市の内湾で続く課題
東京湾は、人口が集中する地域に囲まれた閉鎖性の高い海域です。環境省は2022年1月24日に、東京湾・伊勢湾・瀬戸内海を対象とする第9次水質総量削減の基本方針を定めました。対象はCOD、窒素、りんで、目標年度は令和6年度(2024年度)です。
環境省の資料は、赤潮や貧酸素水塊といった富栄養化に伴う問題が依然として発生していると指摘しています。目標年度を過ぎた今は、達成状況の検証と次の方針づくりが焦点になります。結果は環境省や各都県の公表資料で確認できます。
「きれいにしすぎた」海の逆説|栄養塩を減らす時代から管理する時代へ
富栄養化への対策が進んだ結果、瀬戸内海の一部では反対の問題が表面化しました。窒素やリンが少なくなりすぎ、ノリの色落ちや漁獲の減少が起きたのです。環境省の資料では、この栄養塩の不足が法改正の背景として示されています。
2021年の法改正で何が変わったのか
環境省によると、改正された瀬戸内海環境保全特別措置法は2021年(令和3年)6月9日に公布され、2022年4月1日に施行されました。関係府県の知事が栄養塩類管理計画を定められるようになったことが、大きな変更点です。法の目的にも「生物の多様性及び生産性の確保のための栄養塩類の管理」が加えられました。
これは規制をやめるという意味ではありません。海域ごと、季節ごとに状況を見ながら、必要な場所に必要な時期だけ栄養塩を供給できるよう、柔軟に運用する仕組みです。
兵庫県と明石市の下水処理場の取り組み
兵庫県は2022年10月に栄養塩類管理計画を策定したと公表しています。対象は大阪湾西部と播磨灘の海域で、下水処理場や工場が、冬季の養殖期を中心に、法令の規制値内で処理水の窒素濃度を高めて放流する運用です。
明石市の下水処理場では、2008年度から試行が始まりました。神戸新聞の2022年の報道によると、市内の浄化センターでは、2021年に全施設で実施されるようになりました。大久保浄化センターでは送風を抑えて窒素を残しており、目標は1リットルあたり16ミリグラムです。報道の取材時の値は8ミリグラムで、安定させる難しさもうかがえます。漁獲量はまだ回復していませんが、担当者は続けることで回復が期待できるとの見方を示しています。
誤解されやすい点
この動きを見ると、「富栄養化の対策は間違いだったのか」と感じる人もいるかもしれません。そうではありません。赤潮の減少は対策の成果であり、問題は「どの海域で、どの季節に、どれだけ必要か」を見ずに一律で減らし続けることにありました。
もう一つの注意点は、栄養塩を増やす運用が全国の海で行われているわけではないことです。東京湾のように貧酸素水塊が課題の海域もあれば、播磨灘のように不足が漁業に影響している海域もあります。同じ日本でも海域によって課題が逆になるため、「栄養塩は悪者」とも「多いほど良い」とも言い切れません。だからといって、排水への配慮が不要になったわけでもありません。
家庭の排水と富栄養化のつながりと、今日からできる行動
家庭の排水は、水域の汚れに無視できない割合で関わっています。大阪府は環境省の「生活排水読本」をもとに、一人が1日に使う水を約250リットルとし、汚れの約7割を生活雑排水が占めると説明しています。この「汚れ」は有機物の指標であるBODに基づくもので、窒素やリンそのものの内訳ではない点に注意してください。それでも、台所や風呂、洗濯の排水が水域に与える影響の大きさは読み取れます。
台所でできること
食べ残しや調理くず、油は、そのまま流すと水中の有機物を増やし、下水処理場や浄化槽の負担になります。食べ物由来の汚れには窒素やリンも含まれます。揚げ物や炒め物のあとは、フライパンや皿の油を紙でふき取ってから洗うと、流れ込む量を減らせます。
油の影響は、主に有機物による汚れという形で表れます。窒素・リンによる富栄養化とは経路が少し違いますが、どちらも「排水に出す前に減らす」という行動で対応できます。
洗濯・入浴で気をつけたいこと
洗剤やシャンプーは、決められた量を守ります。琵琶湖の経験が示すように、洗剤の成分が水域の富栄養化に関わった歴史があります。パッケージの成分表示や使用量の目安に目を通し、多く入れても洗浄力が上がるとは限らない点も意識しておくと、無駄な使用を抑えられます。
引っ越しや旅行で別の地域に移るときは、その地域に独自の条例がないかも確認しておくと安心です。滋賀県のように、リンを含む家庭用合成洗剤が規制されている地域もあります。
住まいの排水設備を確認する
自宅の排水がどう処理されているかは、意外と知られていません。下水道につながっている家、合併処理浄化槽を使っている家、し尿だけを処理する単独処理浄化槽を使っている家では、台所や風呂の排水の行き先が異なります。単独処理浄化槽の場合、生活雑排水が処理されずに放流される場合があるため、自治体の窓口で現在の設備と切り替えの補助制度を確認してみてください。
今日から試せる4つの行動
- 油や食べかすは、紙でふき取ってから食器を洗う
- 洗剤やシャンプーは、パッケージの使用量の目安を守る
- 自宅が下水道か浄化槽かを確認し、浄化槽なら種類を調べる
- 住んでいる地域の水質や排水に関する条例を、自治体のサイトで確認する
選ぶときに混同しやすいこと
海のエコラベルとして知られるMSC認証の水産物を選ぶことは、持続可能な漁業を支える行動です。ただしこれは主に乱獲への対策で、富栄養化を解決する行動とは別の軸です。認証品を選んだからといって、水域の栄養塩の問題が減るわけではありません。海を守る行動は一つではなく、「排水を減らす」と「選んで買う」を分けて考えると、何に効いているのかが分かりやすくなります。
よくある追加質問
ここまで読んだ人が次に抱きやすい疑問を、本文で触れなかった範囲から三つ取り上げます。
赤潮・アオコ・青潮は何が違うのですか
赤潮は、海で植物プランクトンが増えて水の色が変わる現象です。アオコは、湖や池などで藍藻類が増えて水面が緑色になる現象を指します。青潮は少し性質が異なり、水底にたまった酸素のない水が風などで表層に上がってきて、水が青白く見える現象とされます。酸素の少ない水が上がるため、魚介類が弱る被害につながります。東京湾などの内湾で知られています。
川や湖でも富栄養化は起きますか
起きます。琵琶湖で1977年に淡水赤潮が発生したことが、その例です。特に湾や湖のように水が入れ替わりにくい水域では、栄養塩がたまりやすく、影響が出やすいとされています。海だけの問題ではなく、身近な池や川でも同じ仕組みが働きます。
窒素とリンのどちらを減らせばよいのですか
どちらか一方では決まりません。プランクトンの増殖を左右する成分は、水域や季節によって異なるとされています。東京湾・伊勢湾・瀬戸内海の総量削減ではCOD、窒素、りんの三つが対象で、琵琶湖ではまずリンを含む洗剤が規制されました。水域ごとの特徴に合わせて、対象を選んでいる点が実態です。
まとめ|富栄養化は「減らす」から「ちょうどよく保つ」へ
富栄養化は、栄養塩が増えすぎた水域で、プランクトンの増殖から酸欠に至る現象です。SDGsターゲット14.1が掲げた2025年の期限は過ぎましたが、世界のデッドゾーンやメキシコ湾の目標を見ると、課題は続いています。
日本は、瀬戸内海の総量規制、琵琶湖の石けん運動と条例、東京湾の総量削減と、水域ごとに違う手段を重ねてきました。その結果として、一部の海域では栄養塩が不足するという新しい課題が生まれ、2021年の法改正で「管理する」考え方に変わりました。排水への配慮が不要になったのではなく、海域の状態に合わせて調整する段階に入ったということです。
家庭でできることは、まず日々の排水を見直すことです。まず1つだけ、今日の台所で、油をふき取ってから洗ってみてください。
- 富栄養化は、窒素やリンが増えすぎて酸素不足を招く現象である
- 日本では水域ごとに、総量規制、条例、住民運動といった異なる対策がとられてきた
- 2021年の法改正により、栄養塩は海域と季節に応じて管理される対象になった
- 台所の油や食べかす、洗剤の量、排水設備の確認が、家庭でできる行動である
- MSC認証の選択は乱獲対策であり、富栄養化への対策とは別の行動である
参考文献
- 環境省 せとうちネット「赤潮の発生状況」(2026年10月閲覧)
- 環境省「瀬戸内海環境保全特別措置法の一部を改正する法律について」(2021年)
- 環境省「第9次水質総量削減の基本方針」(2022年)
- 神奈川県「東京湾の水質」(2026年10月閲覧)
- 滋賀県「県民の声ひろば(合成洗剤の使用、販売などについて)」(2024年)
- 兵庫県「栄養塩類管理計画」関連資料(2022年)
- 神戸新聞NEXT「水質はきれい過ぎてもダメ 瀬戸内で不漁の魚介、復活なるか」(2022年)
- NOAA NCCOS「Below Average Summer 2025 ‘Dead Zone’ Measured in Gulf」(2025年)
- VIMS「Dead zones continue to spread」(2008年)
- 大阪府「生活排水対策」(2026年10月閲覧)

