上場企業が温室効果ガス(GHG)排出量を有価証券報告書に開示することが義務づけられます。サステナビリティ基準委員会(SSBJ)は「温室効果ガス排出の開示に対する改正」として3つの基準改正を公表しており、2027年1月1日以降に開始する年次報告期間から適用される見込みです。時価総額3兆円以上のプライム上場企業を皮切りに、段階的に対象が拡大される予定で、IR・サステナビリティ担当者にとっては「今すぐ動き出すかどうか」が問われる局面に入っています。
SSBJとは何か|国際基準との関係を整理する
サステナビリティ基準委員会(SSBJ)は、企業会計基準委員会(ASBJ)のもとに設置された、日本のサステナビリティ開示基準の策定機関です。国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が2023年に公表したIFRS S1(全般的開示)およびIFRS S2(気候関連開示)を日本の法制度・商慣習に合わせて適用するかたちで、SSBJ基準は構成されています。
ISSBは「サステナビリティ開示のIFRS」とも呼ばれ、欧州のCSRD(企業サステナビリティ報告指令)や米国SECのクライメート・ルールと並ぶ国際的な開示フレームワークです。日本はSSBJを通じてこの流れに接続しており、金融庁も内閣府令改正により有価証券報告書へのSSBJ基準組み込みを推進しています。異なる報告フレームワークが林立してきた時代から、国際的に比較可能なGHG開示へ移行する大きな転換点といえます。
3つの基準改正の概要|何が変わるのか
SSBJが公表した「温室効果ガス排出の開示に対する改正」は、既存の3つのサステナビリティ基準(ユニバーサル基準、テーマ別基準、一般開示基準)にそれぞれGHG排出開示の要件を組み込むものです。企業は財務情報と非財務情報を統合したかたちで有価証券報告書に盛り込むことが求められます。
改正のポイントは大きく3点あります。第一に、Scope 1・Scope 2の排出量開示が必須となります。Scope 1は自社設備の燃焼など直接排出、Scope 2は購入した電力・熱に伴う間接排出です。第二に、Scope 3についてはカテゴリー別の開示が求められます。サプライチェーン上流(原材料調達など)から下流(製品の使用・廃棄)まで15のカテゴリーを設定し、企業は該当するカテゴリーを特定して排出量を算定・開示する必要があります。第三に、排出量の算定に用いた方法論・仮定・不確実性の説明も求められており、数字を出すだけでなく「どう測ったか」の透明性も重視されています。
適用スケジュール|段階的義務化の全体像
義務化は一度に全上場企業へ適用されるわけではなく、時価総額に応じて段階的に拡大されます。現時点で議論が進んでいるスケジュールは以下のとおりです。
- 2027年3月期(2027年1月1日以降開始の年次報告):時価総額3兆円以上のプライム上場企業が対象
- 2028年3月期:時価総額1兆円以上の企業へ拡大
- 2029年3月期:時価総額5,000億円以上の企業へ拡大
- 早期適用:2025年12月11日以後に終了する年次報告期間から自主的に適用可能
「まだ自社は対象外」と考える企業でも、大企業の取引先・サプライヤーとして Scope 3 データの提供を求められる立場になる可能性があります。義務化のタイムラインは自社の時価総額だけで判断できません。
Scope 1・2・3とは何か|基礎から理解する排出量の区分
GHG排出量の算定・報告で広く使われているのが、GHGプロトコルが定めたScope(スコープ)による分類です。SSBJの開示要件もこの枠組みに基づいています。
Scope 1|自社による直接排出
工場や社用車など、自社が所有・管理する排出源から直接大気中に放出されるGHGの量です。燃料燃焼や製造プロセスからの排出が代表例で、データ収集の起点となります。
Scope 2|購入エネルギーに伴う間接排出
電力会社から購入した電気や熱・蒸気の製造過程で発生する排出量を、事業者側に帰属させて計上するものです。再生可能エネルギーの調達状況によって数値が変動するため、エネルギー転換の取り組みが直接反映されます。
Scope 3|バリューチェーン全体の排出
Scope 1・2に含まれない間接排出の総称で、原材料の調達から、製品の使用・廃棄に至るまでの上流・下流15カテゴリーを網羅します。多くの企業でScope 3が全排出の7〜9割を占めるとされ、実質的な脱炭素を進めるうえで最も重要な区分です。一方で、サプライヤーからのデータ収集が必要になるため、準備に最も時間がかかる領域でもあります。
企業が今すぐ着手すべき準備ステップ
2027年3月期の適用まで、実質的に約1年〜1年半の準備期間があります。ただしデータ収集・算定体制の整備は短期間では完結しないため、フェーズを分けて動くことが現実的です。
まずフェーズ1(〜2026年末)として取り組みたいのが、ギャップ分析です。現状どの範囲のGHGデータを把握できているかを棚卸しし、SSBJ基準の要件と照らし合わせます。エネルギー使用量の記録が部門別・拠点別に取れているか、購入電力の排出係数を正しく適用できているかなど、基礎的な点から確認します。
フェーズ2(2027年前半)では、Scope 3の主要カテゴリーの算定に着手します。上流では「購入した製品・サービス(カテゴリー1)」が最もボリュームが大きいことが多く、主要サプライヤーへの排出量データの照会、あるいは業界平均原単位を使った推計から始めます。下流では「販売した製品の使用(カテゴリー11)」が製品の用途によっては支配的なカテゴリーになります。
CDPやGRIスタンダードに沿った開示を既に実施している企業は、SSBJ基準との整合作業が中心になります。未着手の企業は、Scope 1・2の算定と第三者検証体制の構築を最優先として、Scope 3は段階的に拡充するロードマップを組むことが求められます。
Scope 3の算定に必要な基礎知識については、以下の記事も参考にしてください。

開示が企業価値に与える影響|投資家・取引先の視点
GHG排出の開示義務化は、コンプライアンス対応という側面だけではありません。機関投資家は、気候変動リスクが企業の収益性・資産価値に与える影響(いわゆる「移行リスク」と「物理的リスク」)を評価するツールとして、GHGデータを活用します。信頼性の高いデータを開示できている企業は、ESG評価の向上を通じてより有利な資本調達環境を得られる可能性があります。
取引関係においても変化が起きています。大企業がScope 3を開示する義務を負う以上、サプライヤーに対して排出量データの提供を求める動きは避けられません。すでにトヨタ自動車や大手商社など主要企業がサプライヤーへのGHGデータ照会を本格化させているとされており、中小企業・中堅企業であっても「取引の前提条件」としてGHG把握が問われる場面が増えると見込まれます。
消費者向けに事業を展開する企業にとっては、製品・サービスのカーボンフットプリント開示との連動も意識する必要があります。SSBJ基準への対応を契機に、自社の脱炭素戦略を可視化し、ブランド価値の向上につなげる視点が求められます。
ESG投資と企業価値の関係について詳しくは、こちらの記事もあわせてご覧ください。

中小企業・非上場企業への波及|「義務対象外」でも無関係ではない
SSBJ基準の直接的な義務対象は上場企業ですが、影響はサプライチェーンを通じて非上場企業・中小企業にも及びます。大企業がScope 3を開示するためには、取引先のScope 1・2データが必要になるケースがあるからです。
経済産業省は「サプライチェーン全体でのGHG排出量可視化」を政策的に後押ししており、中小企業向けの算定支援ツールや補助金制度の整備も進んでいます。自社が上場企業でなくても、主要取引先から排出量データの提供を求められる日は遠くない、という前提で動くことが選択肢として現実的です。
まず取り組みやすいのは、電力・ガスなどエネルギー使用量の記録を拠点・用途別に整理することです。この基礎データがあるだけで、Scope 1・2の算定はかなり進みます。サプライヤーとの情報共有の仕組みを整えることで、大企業との取引継続や新規開拓において優位に立てる可能性があります。
中小企業がGHG算定に取り組む具体的な手順は、以下の記事を参考にしてください。

まとめ|GHG開示義務化で問われる「測る力」と「伝える力」
SSBJ基準によるGHG排出開示義務化は、企業が気候変動リスクに向き合う姿勢を「数字」で示す時代の到来を意味します。適用まで時間があるように見えても、Scope 3の算定体制構築には想定以上の時間がかかります。以下の点を確認するところから始めてみてください。
- 自社の時価総額と適用タイムライン(2027・2028・2029年度)の確認
- 現在把握できているGHGデータの範囲(Scope 1・2・3)のギャップ分析
- Scope 3の主要カテゴリー(特にカテゴリー1・11)の算定着手
- 主要サプライヤーへの排出量データ照会プロセスの設計
- 第三者検証を見据えた算定方法・根拠の文書化
まずは自社のScope 1・2データを一か所に集めることから始めてみてください。その一歩が、SSBJ対応の最初の足場になります。

