気候変動が激しさを増す中、故郷を離れざるを得ない人々が世界中で増加しています。これらの人々は「環境移民」と呼ばれ、洪水や干ばつなどの自然災害によって住む場所を失い、新天地を求めて移動しています。現在すでに数百万人が環境移民となっており、専門機関は今後50年以内に数億人規模に達する可能性があると警告しています。この深刻な問題について、基本的な知識から現在の状況まで詳しく解説します。
この記事で学べるポイント
- 環境移民の定義と難民との違い
- 気候変動が引き起こす移住の原因
- 世界の環境移民の現状と将来予測
環境移民とは何か?基本的な定義を理解する
環境移民とは、気候変動や環境悪化によって住み慣れた土地を離れ、他の地域に移住せざるを得ない人々のことを指します。国際移住機関(IOM)による定義では、環境の変化や悪化が原因で、一時的または永続的に住居を離れることを余儀なくされた人々とされています。
この問題が世界的な注目を集めるようになったのは比較的最近のことで、1970年代に初めて概念が提唱され、1989年に国連環境計画の事務局長が「5000万人もの人々が環境難民になる可能性がある」と警告したことから議論が活発化しました。
環境移民の定義と特徴
環境移民には大きく分けて2つのタイプがあります。一つは国境を越えて他国に移住する「国際移住」、もう一つは同じ国内の他の地域に移動する「国内移住」です。実際には、国内移住の方が圧倒的に多く、環境移民問題の主要な部分を占めています。
移住の期間についても、一時的な避難から永続的な移住まで様々なパターンがあります。例えば、洪水や台風などの急激な災害の場合は一時的な避難が多い一方、砂漠化や海面上昇のような長期的な環境変化では永続的な移住を余儀なくされることが多くなります。
また、環境移民の移住は必ずしも強制的なものばかりではありません。環境条件の悪化を予測して、より良い生活を求めて計画的に移住する場合も含まれます。このように、環境移民は単純に災害から逃れる人々だけでなく、環境変化に適応しようとする人々の多様な移動を包含する概念なのです。
「環境難民」との違いと法的地位の問題
環境移民はしばしば「環境難民」とも呼ばれますが、実は法的には大きな違いがあります。1951年の「難民の地位に関する条約」では、難民を「人種、宗教、国籍、政治的意見、特定の社会集団への所属を理由に迫害を受ける恐れがあるため、国籍国の外にいる者」と定義しています。
この定義によると、環境変化による移住は難民の条件に該当しないため、環境移民は国際法上の難民としての保護を受けることができません。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も「気候難民」という用語は承認しておらず、「災害や気候変動の関連で移動を強いられた人々」という表現を使用しています。
この法的地位の曖昧さが、環境移民が直面する最も深刻な問題の一つとなっています。正式な難民として認められていないため、国際的な保護や支援を受ける権利が保障されていないのが現状です。一方で、二酸化炭素排出量の少ない途上国の人々が、先進国の経済活動によって引き起こされた気候変動の影響を最も受けているという不公平な状況も指摘されています。
環境移民が発生する原因と背景
環境移民が発生する要因は多岐にわたりますが、主に急激な自然災害と長期的な環境変化の2つに大別できます。どちらも気候変動の影響が深く関わっており、地球温暖化の進行とともにその深刻度は増しています。
気候変動が引き起こす自然災害
急激な環境変化による環境移民の代表例が、自然災害による避難です。洪水、台風やハリケーン、土砂災害、山火事などが主な要因となります。これらの災害は気候変動により頻度と強度が増しており、より多くの人々が短期間で住居を失う状況が生まれています。
例えば、近年アメリカでは災害による国内移動が急増しており、2020年には171万件と過去10年間で最高を記録しました。カリフォルニア州の山火事やフロリダ州のハリケーンなどにより、毎年数十万人が一時的または永続的な移住を余儀なくされています。
アジア地域でも、モンスーンの変化により洪水や干ばつの被害が拡大し、バングラデシュやインドなどで大規模な人口移動が発生しています。これらの災害による移住は、多くの場合一時的なものですが、復旧が困難な場合には永続的な移住に発展することもあります。
長期的な環境変化による影響
より深刻な問題となっているのが、長期的な環境変化による移住です。海面上昇、砂漠化、森林破壊、水資源の枯渇などがその主要な要因です。これらの変化は数十年にわたって進行し、最終的に地域全体を居住不可能にしてしまいます。
特に深刻なのが小島嶼国での海面上昇の影響です。太平洋のツバルやキリバス、マーシャル諸島などでは、海面上昇により国土の大部分が水没の危機に直面しています。これらの国々では、国民全体が他国への移住を検討せざるを得ない状況となっています。
アフリカのサハラ砂漠周辺地域では、砂漠化の進行により農業や牧畜が困難になり、農村部から都市部への大規模な人口移動が続いています。シリアでも、2006年から2010年にかけて発生した深刻な干ばつが農業に壊滅的な打撃を与え、約150万人の農村住民が都市部に移住しました。この大規模な人口移動が社会不安を増大させ、後の紛争の一因となったと分析されています。
これらの長期的な環境変化による移住は、一度始まると元の土地に戻ることが極めて困難であり、移住者にとってより深刻な問題となっています。
世界の環境移民の現状と規模
環境移民の実数を正確に把握することは非常に困難ですが、国際機関による様々な調査と推計により、その規模の大きさが明らかになってきています。現在でも数百万人規模の環境移民が存在し、将来的にはさらに大幅な増加が予想されています。
現在の環境移民の実数と推計
国際移住機関(IOM)の推計によると、現在世界には数百万人の環境移民が存在しています。災害や紛争による人の国内移動を分析するスイスの非営利団体IDMCの報告では、2020年の世界の国内移住は4050万件に達し、過去10年で最高となりました。このうち災害による移住は3070万件と全体の約8割を占め、紛争による移住を大きく上回っています。
特に注目すべきは、災害による移住の急激な増加です。気候変動の影響により、サイクロン、洪水、干ばつといった自然災害の頻度と強度が増しており、年間平均2000万人以上の人々が故郷を追われ、自国内の他の地域への避難を強いられています。
地域別に見ると、アジア太平洋地域が最も影響を受けており、モンスーンの変化や台風の大型化により、バングラデシュ、インド、フィリピンなどで大規模な人口移動が発生しています。アフリカでも、サハラ砂漠周辺地域を中心に干ばつや砂漠化による移住が続いており、エチオピア、ケニア、ソマリアなどで1000万人の人々が影響を受けています。
今後予想される環境移民の増加
将来の環境移民数に関する予測は機関によって幅がありますが、いずれも大幅な増加を示しています。世界銀行は2018年と2021年に発表した報告書「大きなうねり:気候変動による国内移住者への備え」で、積極的な気候変動対策や開発政策が実行されなければ、2050年までに約2億1600万人が避難を余儀なくされる可能性があると警告しています。
さらに悲観的な予測では、IOMが「今後20年以内に数千万人、50年以内に数億人に膨れ上がる」可能性があるとしています。気候変動政府間パネル(IPCC)の分析によると、気温が2度上昇した場合、2050年までに世界人口の37%が日常的な酷暑を経験し、3億5000万人以上が居住不可能な気温に晒されると推計されています。
また、2030年までに世界人口の50%が洪水や嵐、津波のリスクに晒される沿岸地域に住むと推計されており、海面上昇による影響も深刻化すると予想されています。これらの数字は、環境移民問題が今後数十年間で人類が直面する最も深刻な課題の一つになることを示しています。
環境移民が直面する課題と問題
環境移民は移住の過程と移住先の両方で深刻な困難に直面します。法的保護の欠如から始まり、移住先での生活再建まで、多層的な問題が彼らの人権と尊厳を脅かしています。
法的保護の不足
環境移民が直面する最も根本的な問題は、国際法上の地位が明確でないことです。前述のとおり、1951年の難民条約では環境要因による移住は難民の定義に含まれていないため、環境移民は難民としての法的保護を受けることができません。
この状況は、環境移民が国境を越えて他国に避難した場合に特に深刻な問題となります。受入国は彼らを保護する国際法上の義務を負わないため、強制送還されるリスクが常に存在します。実際に、太平洋島嶼国出身のイオアネ・テイティオタ氏がニュージーランドに気候難民として初の亡命申請を行いましたが、認定されませんでした。
国内移住の場合でも、政府による十分な支援が保障されていないことが多く、移住者は自力で新しい生活基盤を築かなければなりません。災害発生時の緊急避難は行われても、長期的な生活再建支援は不十分なケースが多いのが現状です。
移住先での困難な生活状況
環境移民の多くは、経済的に困窮した状態で移住を余儀なくされるため、移住先でも厳しい生活環境に置かれることが少なくありません。特に農村部から都市部への移住者は、都市のスラム地区での生活を余儀なくされることが多く、適切な住居、安全な水、衛生設備、教育機会などへのアクセスが制限されます。
移住先の地域社会との摩擦も深刻な問題です。環境移民の流入により地域の資源に負担がかかり、既存住民との間で水や土地、雇用機会を巡る競争が激化することがあります。特に、干ばつから逃れた人々が同じように水不足に苦しむ地域に移住する場合、既存の社会的緊張を高め、時には紛争の原因となることもあります。
また、環境移民は文化的なアイデンティティの喪失という心理的な苦痛も経験します。特に先住民コミュニティや伝統的な農業・牧畜業に従事していた人々にとって、土地との結びつきを失うことは経済的損失以上の意味を持ちます。言語や慣習の違い、社会保障制度からの排除なども、移住先での統合を困難にする要因となっています。
世界各地の環境移民の具体例
環境移民の問題は世界各地で様々な形で現れており、それぞれの地域の環境特性や社会経済状況に応じて異なる課題を抱えています。具体的な事例を通じて、この問題の多様性と深刻さを理解することができます。
太平洋島嶼国での海面上昇の影響
太平洋の小島嶼国は、海面上昇による環境移民問題の最前線に立たされています。ツバルは平均海抜がわずか1.5メートルしかなく、海面上昇により国土全体が水没の危機に直面しています。既に満潮時には海水が地下から湧き出し、住宅地や農地が浸水する現象が日常化しています。
キリバスでは、2014年に当時のアノテ・トン大統領が「気候変動により最終的に国全体が水没する可能性がある」と発言し、国民の集団移住計画を発表しました。同国は隣国フィジーに2000ヘクタールの土地を購入し、将来的な移住に備えています。マーシャル諸島でも同様の状況が進行しており、住民の一部は既にアメリカ本土への移住を開始しています。
これらの国々では、海面上昇により淡水資源も枯渇しつつあります。海水が地下水に浸透することで農業用水や飲用水の塩分濃度が上昇し、従来の生活様式を維持することが困難になっています。住民たちは伝統的な文化や言語を保持しながら、どのように新天地での生活を築いていくかという困難な選択に直面しています。
アフリカや中東地域での干ばつによる移住
アフリカのサハラ砂漠周辺地域では、長期化する干ばつと砂漠化により大規模な環境移民が発生しています。ハイチでは森林伐採が進んだ結果、干ばつやハリケーン、洪水などの自然災害の影響を受けやすくなり、首都ポルトープランスに毎年数千人の環境移民が流入しています。現在、首都住民の約半数が地方出身者となっています。
シリアの事例は、環境変化が社会不安や紛争の引き金となることを示す重要なケースです。2006年から2010年にかけて発生した史上最悪レベルの干ばつにより、同国の農業地帯は壊滅的な被害を受けました。約150万人の農村住民が生計手段を失い、都市部への移住を余儀なくされました。この大規模な人口移動が都市部での失業率上昇や社会インフラへの負担増加を招き、後の政治的不安定の一因となったと分析されています。
東アフリカのエチオピア、ケニア、ソマリア、ウガンダでは、気候変動による降雨パターンの変化で慢性的な水不足が発生し、約1000万人が影響を受けています。牧畜業に依存してきた住民は家畜を失い、農業従事者は作物の収穫ができなくなることで、都市部や比較的状況の良い地域への移住を選択せざるを得ない状況が続いています。
環境移民問題への国際社会の取り組み
環境移民問題の深刻化を受けて、国際機関や各国政府は様々な取り組みを開始していますが、問題の規模と複雑さに比べて対策は十分とは言えない状況です。
国際機関による支援活動
国際移住機関(IOM)は環境移民問題の主要な対応機関として、2007年から本格的な取り組みを開始しました。2015年には環境・気候変動と人の移動に関する専門部署を国際機関として初めて設置し、政策立案支援、調査研究、啓発活動を展開しています。IOMは災害リスクの軽減、環境変化による望まぬ移住の回避支援、気候変動の影響を受けた人々への直接支援を3つの柱として活動しています。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も、気候変動と強制移動の問題に取り組んでいます。2020年には調査研究に基づく「Legal Considerations」を公開し、気候変動の影響と難民申請の関連性について国際的な議論を促進しています。また、気候変動の影響を受けた人々の保護と支援、将来の災害に備えたレジリエンス強化のサポートを行っています。
世界銀行は2018年と2021年に報告書「大きなうねり」を発表し、従来見過ごされがちであった国内における環境移民に焦点を当てました。同報告書では、世界レベルでの温室効果ガス削減、開発計画への気候移住の考慮、データ収集と分析への投資という3つの主要対策を提示しています。
各国政府の政策と対策
アメリカでは、気候変動による移住が国内問題として顕在化しており、各州レベルでの対策が進んでいます。ルイジアナ州では、海面上昇により水没の危機に直面したアイル・デ・ジーン・チャールズ島の住民500家族に対し、州政府が4800万ドルを投じて集団移住を支援しました。ニューヨーク市も2012年のハリケーン「サンディ」の被害を受けて、洪水対策に14億5000万ドルを投じるインフラ整備プロジェクトを開始しています。
ヨーロッパ諸国では、環境移民を人道的保護の対象として受け入れる政策を検討する国が増えています。フィンランドやスウェーデンなどの北欧諸国では、気候変動による移住者に対して人道的配慮に基づく滞在許可を認める事例が出てきています。
一方で、多くの途上国では資金や技術の不足により、十分な対策を講じることが困難な状況が続いています。バングラデシュやフィリピンなどの災害多発国では、国際支援に依存せざるを得ない状況にあり、予防的な対策よりも災害後の緊急対応に追われているのが現状です。
国際社会全体としては、2018年12月に国連総会で採択された「難民に関するグローバル・コンパクト」で気候変動と強制移動の相互影響が言及されるなど、徐々に認識が高まっています。しかし、環境移民に対する包括的な国際的枠組みの構築には至っておらず、今後の課題となっています。
環境移民問題は、気候変動対策と人道支援の両面からのアプローチが必要な複合的課題です。根本的な解決には温室効果ガスの大幅削減が不可欠ですが、同時に既に影響を受けている人々への支援と、将来の大規模移住に備えた国際協力体制の構築が急務となっています。
参照元
・自然環境復活協会 https://shizen-hatch.net/2021/05/11/environmental_immigrant/
・UNHCR Japan https://www.unhcr.org/jp/climate-change-and-disasters
・IOM Japan 国際移住機関 日本 https://japan.iom.int/migration-environment-and-climate-change
・IOM Japan 国際移住機関 日本 https://japan.iom.int/news/PeopleontheMoveinaChangingClimate
・京都大学大学院 地球環境学堂・学舎・三才学林 https://www2.ges.kyoto-u.ac.jp/faculty/interview/interview-singer-jane/
・OurWorld 日本語 https://ourworld.unu.edu/jp/environmental-migrants-more-than-numbers
・OurWorld 日本語 https://ourworld.unu.edu/jp/climate-migration-a-complex-problem
・公益財団法人日本国際フォーラム https://www.jfir.or.jp/studygroup_article/11827/