地球上には、知られているだけで約175万種、未知のものを含めると数千万種ともいわれる生き物が暮らしているとされています。生物多様性とは、こうした多くの生き物が互いにつながり支え合いながら存在している状態を指す言葉です。しかし「名前は知っているけれど、具体的に何を守ればいいのかは分からない」という方も多いのではないでしょうか。本記事では生物多様性の基本的な意味を押さえたうえで、日本の制度や企業の動き、誤解されやすいポイント、そして今日から始められる具体的な行動までをまとめて解説します。
生物多様性とはどういう意味か|3つのレベルで理解する「豊かさ」
生物多様性とは、動物や植物、微生物など地球上に存在する生物種の豊かさと、その遺伝子の多様性、さらには地域ごとに異なる生態系の多様性までを含む包括的な概念です。生物多様性条約(CBD)をはじめ国際的な議論では、一般に「遺伝子」「種」「生態系」という3つのレベルで整理されます。それぞれのレベルで何が多様であるのかを理解すると、ニュースで語られる「生物多様性の損失」が具体的に何を意味するのかが見えてきます。
遺伝子の多様性
同じ種の生き物であっても、地域や個体によって色や形、体質がわずかに異なります。これは個体ごとに持つ遺伝情報の違いが外見や性質に表れた結果です。人間でいえば肌の色や髪質の違いがこれにあたります。遺伝子の多様性が高い集団ほど、気候変動や感染症といった急激な環境変化が起きた際にも、集団の中のどれかの個体が対応できる可能性が高くなり、種全体が生き延びやすくなるとされています。
種の多様性
種の多様性は、ある地域にどれだけ多くの種類の生物が暮らしているかを示す指標です。熱帯雨林には極めて多くの種が共存している一方、砂漠では種数が少なくなります。気温変化の少ない熱帯地域では、食べるものや活動する時間帯を微妙にずらすことで、多くの種が競合を避けながら同じ場所に共存していると考えられています。
生態系の多様性
森林、湿原、河川、サンゴ礁、草原など、地域ごとの気候や土壌条件によって異なるタイプの生態系が形成されています。生態系の多様性とは、それぞれの環境に応じて成立しているこうした生態系どうしの違いの豊かさを指します。1つの生態系が失われると、そこに依存する種の多様性や遺伝子の多様性も連鎖的に損なわれてしまう点が、この3つのレベルを切り分けて理解する意味につながります。
生物多様性が支える暮らしの恵み|生態系サービスという考え方
生物多様性の価値は、学術的な関心にとどまらず、私たちの生活そのものを直接支えている点にあります。生物がもたらす恩恵は一般に「生態系サービス」と呼ばれ、国連の「ミレニアム生態系評価」以降、供給・調整・文化的・基盤という4つに整理されることが多くなっています。
毎日の食事に並ぶお米や野菜、衣服に使う綿や麻、医薬品の原料の多くは、生物多様性に支えられた「供給サービス」の恵みです。また、生物は大気や水の循環、土壌の形成、受粉といった「調整サービス」「基盤サービス」の一端も担っており、これらが機能しなければ農業や漁業そのものが成り立たなくなります。自然の中で過ごす時間や景観が与える安らぎといった「文化的サービス」も、観光業や地域経済を支える要素のひとつです。
こうした自然への経済的な依存度は、決して小さくありません。世界経済フォーラムは、世界の経済活動の半分近くが自然とその恵みに中程度から高度に依存していると指摘しており、生物多様性の損失は環境問題であると同時に、経済や事業継続に直結するリスクとして企業の間でも認識が広がっています。
日本と世界の生物多様性は今どうなっているのか
生物多様性の重要性が語られる一方で、世界的にも日本国内でも、その損失は加速しているとされています。国連の生物多様性に関する科学的な政府間組織であるIPBESは、2019年の報告書の中で、多数の動植物種が今後数十年のうちに絶滅する危機に直面していると警鐘を鳴らしました。
世界的な危機の規模
生物多様性が失われる直接的な要因としては、土地利用の変化や開発、乱獲、気候変動、外来種の持ち込み、汚染などが挙げられています。過去100年間で記録が残る哺乳類・鳥類・両生類のうち、1万種あたりおよそ100種が絶滅したと評価されているとされ、記録に残らないまま姿を消した種を含めれば、地球の歴史上の平均的な絶滅ペースを大きく上回っている可能性が指摘されています。
日本固有の課題|里山・里海の衰退と外来種
日本国内に目を向けると、状況を悪化させている要因は大きく4つに整理できます。開発や乱獲によって種の存続が脅かされていること、里地里山や里海の手入れが行き届かなくなり自然の質が低下していること、外来種の持ち込みによって在来の生態系のバランスが崩れていること、そして気候変動によって生息環境そのものが変化していることです。分類群によっては、評価対象種のうち3割前後が絶滅のおそれがあると位置づけられている分野もあるとされ、里山のように人の手が入ることで維持されてきた環境ほど、担い手の減少が生物多様性の低下に直結しやすい点が日本特有の課題として指摘されています。
国際社会と日本の対応|30by30とネイチャーポジティブ
こうした危機に対応するため、2022年12月にカナダ・モントリオールで開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)では、「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択されました。この枠組みは、2030年までに生物多様性の損失を止め反転させる「ネイチャーポジティブ」の実現を掲げ、具体的な目標の一つとして、陸と海それぞれの少なくとも30%を保全・管理する「30by30」が盛り込まれています。
日本の生物多様性国家戦略2023-2030
日本政府はこの国際枠組みを踏まえ、2023年に「生物多様性国家戦略2023-2030」を策定しました。国立公園などの既存の保護地域を拡充するだけでなく、企業の社有林や里山、ビオトープといった、公的な保護地域には指定されていないものの生物多様性の保全に実質的に貢献している場所を認定し、30by30の達成に取り込んでいく方針が打ち出されています。
自然共生サイトという仕組み
この方針を具体化する制度が「自然共生サイト」です。環境省は、企業や自治体、NPOなどが管理する森林や水辺、緑地などのうち、生物多様性の保全に資すると認められた区域を認定する仕組みを整え、国際的にはOECM(保護地域以外の効果的な地域をベースとする手段)として国連に登録する取り組みを進めています。保護区を新設しなくても、既にある身近な緑地や企業の敷地を生かして30by30に貢献できる点が、この制度の特徴です。
企業が取り組む生物多様性対応|TNFD開示とサプライチェーンの変化
生物多様性への対応は、行政だけでなく企業の経営課題としても位置づけられるようになっています。2023年9月には、自然関連の財務情報開示を企業に促す国際的な枠組み「TNFD」(自然関連財務情報開示タスクフォース)の最終提言が公表されました。TNFDは、気候変動に関するTCFDと同じように、企業が自社の事業や供給網が自然にどれだけ依存し、どれだけ影響を与えているかを情報開示する枠組みで、賛同を表明する企業は国内外で増加傾向にあるとされています。
食品・飲料業界の取り組み
原材料を自然から直接調達する食品・飲料業界では、持続可能な調達方針を掲げる企業が増えています。コーヒーやカカオ、紙パッケージなどについて、森林破壊に関与していない原材料であることを示す認証の取得や、原産地での森林再生・水源保全への協力を進める企業が見られます。こうした取り組みは、原材料の安定調達というリスク管理の側面と、消費者からの信頼獲得という両方の意味を持っています。
小売・アパレル業界の取り組み
小売業やアパレル業界でも、取り扱う商品の原材料がどこでどのように生産されているかを追跡し、生物多様性への影響が大きい原材料の使用を見直す動きが広がっています。店頭での認証ラベル付き商品の取り扱い拡大や、売り場での情報提供を通じて、消費者が選択の際に生物多様性への配慮を意識できるようにする工夫も進んでいます。
誤解されやすいポイントと正しい理解
生物多様性という言葉は広く知られるようになった一方で、いくつかの誤解も根強く残っています。正確に理解することが、無駄のない行動につながります。
「生物多様性=希少な動物の保護」という誤解
パンダやトラのような絶滅危惧種の保護活動が生物多様性のイメージとして強く結びつきがちですが、実際にはありふれた在来の昆虫や植物、土壌微生物の多様性も同じように重要です。むしろ、目立たない生物が受粉や分解、土壌形成といった生態系の基盤機能を担っていることが多く、特定の珍しい種だけを保護すれば解決する問題ではありません。
「自分の暮らしには関係ない」という誤解
生物多様性の損失を遠い自然の中だけの出来事だと捉えてしまう人も少なくありません。しかし、先述の生態系サービスのとおり、日々の食料や水、医薬品の原料は生物多様性に支えられています。都市に住んでいても、食卓に上る食材の生産地では生物多様性の変化が品質や収穫量に影響している可能性があり、決して無関係とは言えません。
私たちが今日からできること|選び方と小さな行動
生物多様性の保全は、国の制度や企業の取り組みだけで完結するものではなく、消費者一人ひとりの選択や日々の行動の積み重ねによっても後押しされます。
消費の選び方|認証ラベルを手がかりにする
買い物の際に認証ラベルを確認することは、生物多様性に配慮した選択につながる具体的な手段の一つです。水産物であれば持続可能な漁業を示すMSC認証や、養殖の環境負荷に配慮したASC認証、木材や紙製品であれば適切に管理された森林由来であることを示すFSC認証、コーヒーやカカオ、紅茶であればレインフォレスト・アライアンス認証などが代表的です。それぞれ対象とする品目や基準が異なるため、「水産物ならMSC・ASC」「紙や木材製品ならFSC」というように、品目ごとに確認するラベルを使い分けると選びやすくなります。全ての買い物でこれらを意識するのは難しくても、頻繁に購入する品目を1つか2つ決めて確認する習慣をつけるだけでも、選択の積み重ねとしての意味があります。
暮らしの中でできる行動|ベランダ・庭・地域とのつながり
身近な自然との関わり方を見直すことも、個人レベルでできる行動です。ベランダや庭で在来種の植物を育てる、地域のビオトープづくりや里山保全活動に参加する、観賞用に外来の生物を安易に持ち込まない、釣りや園芸で入手した生物を野外に放さないといった行動は、どれも特別な専門知識がなくても始められます。また、自治体やNPOが運営する自然観察会や生きもの調査に参加することも、身近な生態系の変化を知るきっかけになります。
まとめ
生物多様性とは、遺伝子・種・生態系という3つのレベルで成り立つ生き物どうしのつながりであり、私たちの食料や水、医薬品といった暮らしの基盤そのものを支えています。世界でも日本国内でも、開発や乱獲、里山の手入れ不足、外来種、気候変動といった要因によって、その損失は依然として進んでいるとされています。
これに対し、国際社会は2022年の昆明・モントリオール生物多様性枠組みで「30by30」を掲げ、日本も国家戦略や自然共生サイトといった制度を整えてきました。企業もTNFDによる情報開示を通じて、自然への依存とリスクを経営課題として扱い始めています。こうした大きな流れを踏まえたうえで、認証ラベルを手がかりにした消費の選び方や、身近な自然との関わり方を見直すことが、読者一人ひとりにできる具体的な一歩になります。
- 生物多様性は遺伝子・種・生態系という3つのレベルで成り立っている
- 食料・水・医薬品など暮らしの基盤は生態系サービスに支えられている
- 日本でも里山の衰退や外来種により生物多様性の損失が進んでいる
- 30by30や自然共生サイト、TNFDなど制度・企業対応が広がっている
- 認証ラベルの確認や身近な自然との関わりが個人にできる行動になる
参考文献
- 環境省「自然環境・生物多様性」(2024年)
- 生物多様性条約(CBD)公式サイト(2022年)
- IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)公式サイト(2019年)
- TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)公式サイト(2023年)




