サステナビリティ報告書や統合報告書の巻末を開くと「GRIスタンダードを参照して作成」という一文をよく見かけます。非財務開示の取材を続けていると、この一文の意味を正確に説明できる読者がまだ少ないことに気づかされます。GRI(Global Reporting Initiative)は世界で最も広く使われている開示の共通言語ですが、日本では「GRIに沿っている」という表現だけが独り歩きし、実際にどこまで対応しているのかが曖昧なまま流通しているケースも少なくありません。この記事では、GRIの基本構造を押さえたうえで、日本企業の開示実態、そして2025年前後に本格化するISSB・SSBJ基準との関係を、公開データをもとに整理します。
GRIとは何か 世界標準になった開示の枠組み
GRIは1997年に米国のNGO「CERES」を母体に設立され、現在はオランダ・アムステルダムに拠点を置く国際非営利組織です。企業や組織が環境・社会・経済に与える影響をどう開示するかを定めた「GRIスタンダード」を策定しており、証券取引所の開示要件や企業の自主開示のベースとして、世界各国で参照されています。
GRIスタンダードは大きく3つの階層で構成されています。すべての報告に共通して使う「共通スタンダード」(GRI 1 基礎、GRI 2 一般開示事項、GRI 3 マテリアルな項目)、業種特性を反映する「セクタースタンダード」、そしてテーマ別の「項目別スタンダード」(人権、労働慣行、腐敗防止、排出量など)です。2021年に大幅改訂された共通スタンダードは2023年1月以降に始まる報告期間から適用されており、現在市場に出回っている報告書の多くはこの新版がベースになっています。
なぜGRIが「共通言語」と呼ばれるのか
GRIの特徴は、企業の活動が社会や環境に与える影響そのものを開示対象とする点にあります。後述するISSBの基準が投資家にとっての財務的リスクを起点にしているのに対し、GRIは影響を受ける側、つまり地域社会や労働者、環境そのものの視点から報告事項を組み立てます。この違いを理解しておくと、同じ「サステナビリティ報告書」でも何を優先して読むべきかが変わってきます。
日本企業のサステナビリティ開示はGRIにどこまで対応しているか
非財務開示を継続的に追っていると、日本企業の開示率そのものは国際的に見ても高い水準にあることが分かります。会計大手が定期的に実施している国際調査では、日本の大企業のサステナビリティ関連報告の実施率が長年ほぼ全数に近い水準で推移していると報告されており、開示すること自体はすでに経営の前提になっていると言ってよい状況です。一方で、その報告書が実際にどの程度GRIスタンダードの要求事項を満たしているかは、企業ごとの差がかなり大きいというのが取材を通じた実感です。
「GRIを参照」と「GRIに準拠」は別物
ここで多くの読者が見落としがちなポイントを一つ挙げます。GRIスタンダードには「with reference to(参照して)」と「in accordance with(準拠して)」という2つの利用方法が用意されており、要求される開示項目の網羅性がまったく異なります。「準拠」を宣言するには、マテリアルな項目ごとに定められた開示事項を体系的に満たし、報告書内に「GRI内容索引(GRI Content Index)」を掲載する必要があります。一方「参照」は、特定のスタンダードの一部を任意に引用しているだけでも成立するため、開示の厚みは企業によって大きく異なります。日本企業の報告書では、統合報告書の巻末に「参照」という表記だけが小さく載っているケースが目立ち、この違いを意識して読んでいる読者はまだ多くないというのが率直な印象です。
東証プライム企業の開示と統合報告書の広がり
東京証券取引所では2021年のコーポレートガバナンス・コード改訂を受け、2022年4月4日からプライム市場の上場会社に対してTCFD提言またはそれと同等の国際的枠組みに基づく気候関連情報の開示が事実上求められるようになりました。ただし、この動きの多くは気候変動対応(TCFDの枠組み)を起点にしたものであり、GRIが本来カバーする人権・労働・地域社会・腐敗防止といった項目まで踏み込んで開示している企業は、統合報告書全体の中では相対的に少数派だというのが取材で得た感触です。開示のボリュームが増えたことと、開示の網羅性が上がったことは、必ずしもイコールではありません。
GRIとISSB・SSBJの違い ダブルマテリアリティという考え方
ここ数年、非財務開示の現場で最も話題になっているのが、GRIと国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が示す考え方の違いです。ISSBは2021年にIFRS財団のもとに設立され、2023年6月に「IFRS S1」(サステナビリティ関連財務情報の全般開示)と「IFRS S2」(気候関連開示)を公表しました。この基準は投資家の意思決定に影響する財務的な重要性、いわゆる「シングルマテリアリティ」を出発点にしています。
これに対しGRIは、企業活動が経済・環境・社会に与える影響を評価する「インパクトマテリアリティ」を重視します。両者を合わせて評価する考え方が「ダブルマテリアリティ」と呼ばれ、GRIとIFRS財団は2022年に協業に関する覚書を交わし、両基準の相互運用性を高める作業を進めていると発表しています。投資家向けの数値開示と、社会や環境への影響開示は、目的が異なる別々のレンズだと理解しておくことが、報告書を読み違えないための第一歩です。
SSBJ基準と日本企業の対応スケジュール
日本では、ISSB基準を国内制度に落とし込む役割をサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が担っています。SSBJは2022年に財務会計基準機構のもとに設立され、日本版のサステナビリティ開示基準の検討を進めてきました。適用は東証プライム市場に上場する時価総額の大きい企業から順次始まる方向で検討が進んでおり、金融庁は2027年3月期を初年度として、時価総額の規模に応じて段階的にSSBJ基準の適用を義務付ける方針を示しています。この制度化はあくまで投資家向けの財務的重要性を軸にしたものであり、GRIが求める人権や地域社会への影響開示までは対象にしていません。つまり日本企業は今後、SSBJ基準(投資家向け)とGRIスタンダード(社会・環境向け)という、目的の異なる2つの物差しを併用していく必要が出てきます。
投資家・読者がGRIベースの報告書を読むときのチェックポイント
取材の現場でよく感じるのは、GRIスタンダードという言葉が「環境に配慮している証明書」のように扱われてしまう場面があることです。GRIはあくまで開示の型を定めた枠組みであり、開示された内容の良し悪しまで保証するものではありません。報告書を手に取ったときに確認しておきたいポイントを整理します。
- 巻末の「GRI内容索引」で「準拠」か「参照」かを確認する
- マテリアリティ(重要課題)をどのようなプロセスで特定したかの記述があるか確認する
- 第三者保証(外部機関による確認)を受けている指標がどこまであるかを見る
- 複数年のデータが同じ算定範囲で比較できる形で開示されているか確認する
いくつかの企業の報告書を横並びで見比べると、同じ業種でもマテリアリティ特定のプロセスをステークホルダーへのヒアリング結果まで具体的に書き込む企業もあれば、一般的な業界動向の記述に留める企業もあり、開示の粒度には相当な幅があります。この粒度の差こそが、投資家や消費者が企業の姿勢を読み解くうえでの実質的な判断材料になります。GRIというラベルの有無だけでなく、索引の中身まで開いてみることを習慣にすると、報告書から得られる情報の質が変わってきます。
まず今日試せることとして、関心のある企業の統合報告書またはサステナビリティ報告書を1つ開き、巻末の「GRI内容索引」のページを探して「in accordance with(準拠)」と書かれているか「with reference to(参照)」に留まっているかを確認してみてください。この一手間だけで、その企業の開示への本気度をある程度見極められます。
まとめ
GRIは世界で最も普及したサステナビリティ開示の枠組みであり、日本企業の報告書の多くも何らかの形でGRIスタンダードに言及しています。ただし「参照」と「準拠」では開示の網羅性がまったく異なり、開示件数の多さがそのまま情報の質を保証するわけではないという点は、取材を続けるほど痛感するところです。
今後はISSBやSSBJが示す投資家向けの財務的重要性の開示と、GRIが担ってきた社会・環境への影響開示が、それぞれ別の役割を持ちながら併存していく流れになりそうです。読者としては、どちらの基準がどの目的で作られたのかを区別したうえで、報告書の中身を確認する視点を持つことが、情報に振り回されないための備えになります。
- GRIは影響を受ける側の視点から開示事項を定める国際的な枠組みである
- 日本企業の開示件数は多いが「参照」と「準拠」の違いには注意が必要である
- ISSB・SSBJは投資家向けの財務的重要性を軸にした別の枠組みである
- 報告書のGRI内容索引を確認することが実践的な第一歩になる
参考文献
- GRI「Global Reporting Initiative 公式サイト」(2024年)
- IFRS財団「International Sustainability Standards Board」(2023年)
- サステナビリティ基準委員会(SSBJ)公式サイト(2025年)
- 環境省「【簡易版】TCFDシナリオ分析実践ガイド 2024年3月」(2024)
- 金融庁「事務局説明資料(サステナビリティ情報の開示と保証のあり方に関するワーキング・グループ)」(2025)

