2025年2月18日、日本政府は「2035年度に2013年度比60%、2040年度に同73%削減」を柱とする新たな温室効果ガス削減目標(NDC)を、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)事務局に提出しました。それから1年8か月がたち、関心は数字そのものから、その先に移りつつあります。実際の排出量はどこまで減ったのか。どの制度が目標を支えるのか。自分の暮らしや仕事には何が関わるのか。この記事では、提出された目標の中身、国内外の評価が分かれる理由、2024年度の最新実績、2026年度から動き出した制度、そして生活者として確認できることまでを順にたどります。
新NDCの中身|2035年度60%・2040年度73%削減を読み解く
まず、提出された目標の骨格を整理します。NDC(Nationally Determined Contribution、国が決定する貢献)とは、パリ協定のもとで各国が自ら決めて国連に提出する温室効果ガス削減目標のことです。パリ協定では全ての締約国に、5年ごとの提出と更新が求められています。ここまでが定義で、記事の本題はこの先にあります。
2030年度46%に続く、初の2035年・2040年の数字
日本は2021年10月に、2030年度に2013年度比46%削減を目指すNDCを提出していました。2025年2月の更新では、2035年度に60%、2040年度に73%という中間地点が初めて数字で示されました。同日に、政府の地球温暖化対策計画の改定とあわせて、閣議決定されています(環境省)。
「直線的な経路」と基準年度の意味
政府はこの2つの数字を、2050年ネット・ゼロへ向かう「直線的な経路」と位置づけています。排出を後回しにして終盤で急に減らすのではなく、毎年ほぼ一定のペースで減らし続けるという考え方です。企業にとっては、設備投資の時期や規模を見通しやすくなる利点があります。
基準は2013年度の排出量で、数字は森林などの吸収量を差し引いた「排出・吸収量」で測ります。この点は、後の海外機関による評価と見比べるときに効いてきます。
GX2040ビジョンとエネルギー基本計画がセットで決まった
2025年2月には、GX2040ビジョンと第7次エネルギー基本計画も閣議決定されました。GX(グリーントランスフォーメーション)とは、化石燃料中心の経済・産業構造をクリーンエネルギー中心へ転換する取り組みです。気候目標は単独の数字ではなく、産業政策とエネルギー政策を含む3点セットで動いています。
「60%では足りない」「直線で十分」|評価が分かれる理由
この目標への評価は、はっきり二つに分かれています。どちらの見方にも根拠があるため、結論を急ぐ前に、何を基準に比べているのかを確かめる必要があります。
「足りない」とする見方
国内の企業連合である日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)は、2013年比75%以上の削減を求める提言を出しました。WWFジャパンは、少なくとも66%以上の削減が必要との見解を示しています。国際的な分析機関のクライメート・アクション・トラッカー(CAT)は、1.5℃目標と整合する水準として、2035年までに2013年比でおよそ77%減(吸収量を除く)を挙げています。日本の2035年目標の評価は「不十分(Insufficient)」とされています。
「直線的な経路を示した」と評価する見方
一方で、国内の議論には別の選択肢もありました。当面は排出を多めに許容し、将来に大量の削減や大気中からの回収で帳尻を合わせるという考え方です。これに比べて、毎年着実に減らす道筋が示されたことには意義がある、という評価もあります。産業界にとって予見可能性が高まる点が、その根拠です。
数字がそろわない理由を確かめる
「60%」と「77%」は、同じ物差しで比べた数字ではありません。日本の60%は吸収量を含む数字で、CATの77%は吸収量を除いた数字です。気候分析機関のクライメート・アナリティクスは、日本の目標を吸収量を除いて比較し直すと、2035年に少なくとも53%減、2040年に66%減に相当すると評価しています。ニュースで目標の大小を見かけたら、次の3点を確認すると、数字のずれを読み解きやすくなります。
- 基準年が2013年か、2019年や1990年か
- 森林などの吸収量を含めた数字か、除いた数字か
- 「1.5℃整合」の線を、どの機関のどの手法で引いているか
現在地|2024年度は2013年度比28.7%減、目標までの距離を測る
目標の是非とは別に、「いまどこにいるのか」を確認しておきます。環境省が2026年4月に公表した2024年度の温室効果ガス排出・吸収量は、約9億9,400万トン(CO2換算)でした。2013年度比で28.7%減、2023年度比で1.9%減です。2013年度以降で最も少なく、初めて10億トンを下回りました。
必要なペースの単純計算
ここで、公表された数字から単純計算で必要なペースを出してみます。2013年度から2024年度までの11年間で28.7ポイント減ったので、平均では年に約2.6ポイントずつ減ってきた計算です。2024年度の28.7%から2035年度の60%までは約31ポイントで、残り11年なので年に約2.8ポイントです。2030年度の46%までなら約17ポイントを6年で、年に約2.9ポイントが必要です。2040年度の73%までなら約44ポイントを16年で、年に約2.8ポイントです。
これはあくまで単純な平均値での目安で、削減が毎年均等に進むわけではありません。それでも、これまでの平均より少し速いペースを、今後10年以上続ける必要があることがわかります。
減少の中身を見る
2024年度の減少の背景として、環境省は2つを挙げています。製造業の生産量の減少によるエネルギー消費の減少と、再生可能エネルギーと原子力を合わせた電源が全体の3割を超えるなどの電力の脱炭素化です。前者は景気が回復すれば戻りうる減少で、後者は構造的な減少です。今後の注目点は、生産が戻っても排出が増えにくい状態を、どこまで作れるかにあります。
次に確認できる節目
目標は、まず2030年度46%の達成度から検証されます。その後、2033年度ごろに発電部門の有償オークションが始まる予定で、2035年度、2040年度と続きます。毎年春ごろに公表される排出量の数字が、いちばん手軽な進捗チェックになります。
目標を支える制度|排出量取引・賦課金・エネルギー基本計画
数字を実績に変えるために、日本は複数の制度を並行して動かしています。ここでは、2026年度以降に実際に動き出す主なものを3つ取り上げます。
排出量取引制度(GX-ETS)は2026年度から本格稼働
排出量取引制度(GX-ETS)は、2023年度からの試行期間を経て、2026年4月から本格稼働しました。CO2の直接排出量が年10万トン以上の事業者が対象で、実際の排出量と同量の排出枠を期限までに保有する義務を負います。対象は数百社で、国内排出量の約6割をカバーするとされています。2026年度は排出枠が無償で交付され、排出が枠を超えた事業者は不足分を市場で調達します。
国際排出量取引協会(IETA)によると、2026年度の排出枠の取引価格には、1トンあたり1,700円の下限と4,300円の上限が設けられ、毎年3%ずつ引き上げられます。排出量の10%まではJ-クレジットなどで相殺できます。
2028年度の化石燃料賦課金と、2033年度ごろの有償オークション
制度はさらに段階的に強まります。2028年度からは、化石燃料の輸入事業者などに、CO2排出量に応じた賦課金がかかる予定です。当初は低い負担から始め、徐々に引き上げる計画とされています。発電事業者に対しては、2033年度ごろから有償でのオークションが導入される予定です。排出に値段がつく仕組みを、時間をかけて広げていく設計です。
2040年度の電源構成が前提になっている
第7次エネルギー基本計画は、2040年度の電源構成の見通しとして、再生可能エネルギーが4〜5割程度、原子力が2割程度、火力が3〜4割程度としています。2023年度の速報値は、再生可能エネルギー22.9%、原子力8.5%、火力68.6%でした。2040年度に向けて、電源の中身を大きく入れ替える前提で、73%という数字が組まれています。技術革新が進まない場合のリスクシナリオも併記されており、目標の達成度は電源転換の進み方に大きく左右されます。
自治体・住宅・暮らし|国の数字が地域に降りてくる場所
国の数字は、最終的には地域の取り組みと、住まい方の選択に降りてきます。国の制度が動くのとあわせて、足元の動きも確認しておきます。
脱炭素先行地域は100件を超えた
環境省は、2030年度までに実質的なCO2排出ゼロを目指す「脱炭素先行地域」を、全国で選定してきました。2026年2月に発表された第7回の選定では12件が選ばれ、累計は102件になりました。「2025年度までに少なくとも100か所」という目標に届いたため、募集はいったん終了しています。選ばれた地域で、再生可能エネルギーの導入や建物の改修といった取り組みが、実際にどこまで進むのかが次の焦点です。
住宅の断熱とGX志向型住宅
家庭部門の削減に向けて、政府は2050年に住宅ストックの平均でZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)水準の省エネ性能を確保することを目指しています。その牽引役として、GX志向型住宅の導入への支援が行われているとされます。既存住宅の断熱リフォームへの支援も、令和7年度補正予算に盛り込まれました。補助制度は年度ごとに内容が変わるため、申請を考える際は最新の募集要項の確認が必要です。
デコ活という国民運動
環境省は、脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動「デコ活」を推進しています。消費者の選択の積み重ねが、住宅、家電、移動手段など、家庭部門の排出に影響するためです。ただし、個人の努力だけで目標が達成できるわけではありません。制度と投資が先にあって、暮らしの選択が後から重なる、という関係です。
数字を自分の生活に引き寄せる|いま確認できる3つの入口
政府の目標が大きいほど、個人としては何を見ればよいのかわかりにくくなります。ここでは、すぐに確認できる入口を3つ挙げます。
電力契約の中身を見る
家庭の排出で比重が大きいのは電気の使い方です。いま契約している電力会社が、電源構成やCO2排出係数をどう開示しているかは、公式サイトで確認できます。再生可能エネルギー由来の電気をうたうプランは、電源の内訳が明示されているかどうかを見ると、判断の材料になります。
窓と断熱を見る
暖房を使い始める前のこの時期は、住まいの断熱を見直しやすいタイミングです。熱の出入りが大きい窓まわりの対策は、費用と効果のバランスを比べやすい部分です。賃貸の場合は、貼るだけの断熱シートなど、原状回復しやすい方法から検討できます。
勤務先と自治体の動きを知る
勤務先や取引先がGX-ETSの対象になっている場合、サプライチェーンの取引先に、排出量データの提出が求められることがあります。また、お住まいの自治体の地球温暖化対策の計画は、公開されていることが多く、目標と進捗の数字を確認できます。数字の先にある実態を知るには、こうした身近な情報が手がかりになります。
まとめ
日本の新しいNDCは、2035年度に2013年度比60%、2040年度に同73%という数字を初めて示し、2050年ネット・ゼロへの直線的な経路を描きました。国内外には「足りない」という声も「直線で示した意義がある」という声もありますが、比べる際には基準年や吸収量の扱いといった前提をそろえて見る必要があります。
2024年度の実績は2013年度比28.7%減でした。目標に届くには、これまでの平均より少し速いペースを続けなければなりません。減少の一部は生産量の減少によるもので、生産が戻っても排出が増えにくい構造をどう作るかが問われます。その土台として、2026年度からの排出量取引制度、2028年度の化石燃料賦課金、2033年度ごろの有償オークションが順に動き出します。
目標の達成を左右するのは、制度の運用と、電源や建物の転換が実際に進むかどうかです。毎年公表される排出量の数字を、進捗を測る物差しとして見ていくことが、数字を「本物の変化」に近づける一歩になります。まず1つだけ、契約している電力会社のCO2排出係数や電源構成を、公式サイトで確かめてみてください。
- 新NDCは、2035年度に2013年度比60%、2040年度に73%削減という、直線的な経路の目標
- 評価が割れるのは、吸収量の扱いなど、比べる前提が違うため
- 2024年度は2013年度比28.7%減で、目標までは年に約2.8ポイントのペースが必要
- 排出量取引制度は2026年度に本格稼働し、2028年度の賦課金、2033年度ごろのオークションが続く
参考文献
- 環境省「地球温暖化対策計画・日本のNDC(2025年2月18日)」(2025年)
- 環境省「2024年度の温室効果ガス排出・吸収量」報道発表(2026年)
- 経済産業省「第7次エネルギー基本計画(2025年2月18日)」(2025年)
- Climate Action Tracker「Japan 2035 NDC」(2025年)
- IETA「Japan unleashing the green transition」(2026年)
- ジェトロ「GX推進戦略・カーボンプライシング構想」(2024年)

