赤い文字と青い波のデザインの袋で知られる塩「あらしお」を製造するあらしお株式会社(静岡県静岡市)は、今年2026年で創業120周年を迎えました。
同社の歴史は、江戸時代に駿河の有度浜や久能浜で行われていた塩づくりにまでさかのぼります。明治の創業、戦時統制による製塩業の中断、専売公社の委託による戦後の再開と、日本の塩をめぐる制度が変わるなかで続いてきました。
この記事では、創業120周年の数え方、駿河の塩づくりのルーツ、平釜塩「あらしお」の誕生と復活、そして赤と青のパッケージの由来をたどります。
▼ あらしお株式会社の公式サイトはこちら
昔ながらの平釜塩 あらしお|あらしお株式会社公式サイト
今年で創業120周年を迎えたあらしお
120年の起点は1906年の塩問屋創業
同社の沿革では、1906年(明治39年)に塩専売制と同時に塩問屋として創業しました。2026年の今年は、そこから数えてちょうど120年にあたります。
創業の年と、平釜塩「あらしお」の製造が始まった年は別です。製造開始は1913年(大正2年)です。

あらしお株式会社の沿革(出典:あらしお株式会社公式サイト)
江戸時代の塩づくりに端を発する系譜
同社は、江戸時代の駿府、久能浜の塩づくりの技術に端を発すると伝えています。沿革では、江戸時代(元和年間)に、初代 川島伊佐衛門が駿河有度浜にて塩造りに携わったとされています。これは、1906年(明治39年)の塩問屋としての創業よりも前のことです。
駿河の塩づくりのルーツ|有度浜から久能浜まで
古くから良い塩で知られた有度浜
同社によると、平安時代に清少納言が「枕草子」に「浜は有度浜…」と記したように、1000年の昔から、現在の静岡市には美しい海岸線が広がっていました。駿河湾に面し、明るい太陽が降り注ぐ自然条件や地理的条件に恵まれ、昔から良い塩が採れることで知られていたといいます。
古くは「大日本古文書」に、駿河国から塩が「租(税)」として大和朝廷に差し出されていたという記述があります。戦国時代には、武将の今川義元が製塩と金山で財を成して勢力を伸ばし、城下は小京都とうたわれました。徳川家康が当地を天領としたのも、同様の理由があったといわれます。

駿河の塩づくりを描いた絵(出典:あらしお株式会社公式サイト)
家康公の食卓を預かった久能浜の塩
家康公を祭る久能山東照宮の眼下に広がる久能浜では、江戸時代に盛んに塩作りが行われていました。久能浜の塩は、しおりどん(塩売りどん)と呼ばれた女性たちが背に担ぎ、久能街道を通って、家康公の住む駿府城下へ運ばれていたということです。
質の良さでも知られ、昭和の時代まで、江戸や東京の料亭などにも運ばれて重用されました。同社は、この久能浜の塩が現在の「あらしお」のルーツだとしています。
駿府城跡からは、家康の時代の「焼塩壺」が出土しています。にがりの残る塩田産の塩を素焼きの壺に入れ、そのまま火にくべて「焼き塩」にして販売されたようです。日本各地の焼塩壺が出土していることから、家康公から販売許可のようなものを得たうえで、市販されていたと考えられています。

駿府城跡から出土した焼塩壺(出典:あらしお株式会社公式サイト)
平釜塩「あらしお」の誕生と戦後の復活
製造開始から戦時統制による中断まで
平釜塩「あらしお」の製造が始まったのは、1913年(大正2年)です。1915年(大正4年)には、大正天皇に「あらしお」を献納しました。
その後、1941年(昭和16年)に戦時統制によって製塩業を中断します。
料理人や家庭の声で、専売公社の委託により再開
雨の多い日本では、海水から塩を取るのは大変な作業でした。工業の近代化が進むと、天候に関係なく効率よく塩を大量生産できる技術として、イオン交換膜(海水濃縮膜)と真空蒸発缶(結晶缶)が開発されます。これに伴って、全国にあった昔ながらの塩田は廃止を義務づけられました。
ところが、料亭の料理人や家庭の主婦たちから、以前のような塩が欲しいという強い希望の声があがります。そこで、古くから塩づくりにたずさわってきた同社にお声が掛かり、正式に日本専売公社から委託を受ける形で、戦後初めて従来の日本の味の塩をつくり始めました。製塩業の再開は1963年(昭和38年)です。
同社は、このような形でスタートした製塩メーカーは自社が唯一で、この種の塩では最も古い歴史があるとしています。
あらしおの歩みを年表で見る
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 江戸時代(元和年間) | 初代 川島伊佐衛門が駿河有度浜にて塩造りに携わる |
| 1906年(明治39年) | 塩専売制と同時に塩問屋として創業 |
| 1913年(大正2年) | 平釜塩「あらしお」の製造開始 |
| 1915年(大正4年) | 大正天皇に「あらしお」を献納 |
| 1941年(昭和16年) | 戦時統制により製塩業を中断 |
| 1963年(昭和38年) | 料理人らの要請により、専売公社から委託を受けて製塩業を再開 |
| 1999年(平成11年) | 新工場が竣工 |
| 2003年(平成15年) | 静岡県の取水事業に伴い、駿河湾深層水による製塩の研究・開発 |
| 2009年(平成21年) | 物流倉庫が竣工 |
| 2014年(平成26年) | 「あらしお やきしお」発売 |
| 2026年 | 創業120周年 |
赤と青のパッケージと登録商標「あらしお」
塩の袋に赤と青が多い理由
同社によると、塩のパッケージに赤と青のデザインが多いのは、「あらしお」が発祥です。専売時代、公社の塩は青一色のパッケージでした。
現在の「あらしお」の袋は、赤い文字の商品名と青い波を組み合わせたデザインです。

赤い文字と青い波の「あらしお」の袋(出典:あらしお株式会社公式サイト)
「あらしお」は同社の登録商標
「あらしお」および「あらしお株式会社」は、同社の登録商標です。商品名にも「あらしお(商標登録)」「深い海の塩 あらしお(登録商標)」と添えられています。
同社は、「あらしお」(登録商標)のブランド名で既に半世紀を越え、良い塩を求める人のニーズに応えてきたと説明しています。
今の「あらしお」の塩づくりと商品
天日海塩を南アルプスの伏流水で溶かし、平釜で炊く
「あらしお」の元になるのは、オーストラリアのシャークベイやカリフォルニア半島のエル・ビスカイノ湾の海水を、太陽と乾いた風で結晶させた「天日海塩」です。同社は、いずれも世界自然遺産に指定された海の澄んだ水だと説明しています。
静岡では南アルプスの伏流水をくみ上げ、その水で天日塩を溶かして濃い海水にし、平釜で炊きあげます。釜から上げた塩の結晶は、そのまま寝かせて水分とにがりをゆっくり切り、十分な時間をかけて自然に水きりして仕上げます。
主な商品は4種類
| 商品 | 特徴 |
|---|---|
| あらしお | 平釜炊きの塩。ざっくりとした結晶でまるみのある味。お料理や漬け物、味噌作り、パン、練り製品などに使える |
| あらしお やきしお | 「あらしお」を炒って使いやすく仕上げた焼き塩。さらっと振りやすい |
| 深い海の塩 あらしお | 駿河湾深層水を100%原料にした平釜塩 |
| あらしお 塩あめ | 「あらしお」を使った小粒の塩あめ。人工着色料や香料は使わず、素直な甘さとほんのり塩味 |
まとめ
あらしお株式会社の創業120周年は、1906年の塩問屋としての創業から数えた節目です。ルーツは江戸時代の駿河の塩づくりにあり、平釜塩「あらしお」は1913年に製造が始まりました。戦時統制による中断を経て、1963年に専売公社の委託で再開されています。
赤と青のパッケージは「あらしお」が発祥というのは、同社の説明です。専売時代の公社の塩が青一色だったという話とあわせて読むと、毎日使う塩の袋にも歴史があることがわかります。次に塩を買うときは、袋の色とブランド名の表記に目を向けてみてください。
- 創業120周年の起点は、1906年(明治39年)の塩問屋としての創業
- ルーツは、江戸時代の駿河の有度浜と久能浜の塩づくり
- 平釜塩「あらしお」は1913年に製造開始、1963年に専売公社の委託で再開
- 同社によると、塩のパッケージに赤と青のデザインが多いのは「あらしお」が発祥
- 「あらしお」と「あらしお株式会社」は同社の登録商標
あらしおの詳細は、公式サイトでご確認ください。
参考文献
- あらしお株式会社公式サイト「昔ながらの平釜塩 あらしお|あらしおのこと」(2026年10月26日確認)
- あらしお株式会社公式サイト「昔ながらの平釜塩 あらしお|会社案内」(2026年10月26日確認)

